2009年11月 6日 (金)

ウインドウズ7

いちおう本業はパソコン教室なので、たまにはパソコンの話題を・・・

うわさのウインドウズ7をうちの教室にも入れました。

使ってみた感じはだいたいビスタと似ています。
変わったのは画面の一番下のタスクバーが使いやすくなったとか、いくつも画面を開いているときにそのソフトのタイトルバーをゆするとまわりのウインドウが小さくなったり、面白い機能もあります。

最初からついているペイントや拡大鏡なども使いやすくなっているようです。

タッチパネルの機能もあるのですが、うちのディスプレイは対応していないので使えません(T_T)

しばらく使ってみてまた報告します。

Windows7

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2009年11月 1日 (日)

大江千里:月見れば

秋の月はきれいでいいですね。でもなぜか物悲しくなります。

「月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど」 大江千里(おおえのちさと)

“月を見ているといろいろなことが次々と思いだされ悲しくなってきます。私一人だけが見ているわけではないのですが・・・”

“ちぢに”は“千々に”ですから、様々なことが思い出されたのでしょうね。
千里の叔父さんは例の在原業平さんです。
百人一首はつながっている人が多いですね。

りっぱな家系ですから生活には困らなかったと思いますがそれなりに悩みはあったのかもしれません。

大江千里の歌には源氏物語に出てくる有名な朧月夜の歌がありますね。
月を歌わせたら他に並ぶ人はいません。と、私は思います。

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2009年10月25日 (日)

文屋康秀:秋の草木のしをるれば

百人一首にもどります。
秋も深まってきて寒い風が吹くころになりました。
こんな季節にピッタリなのが、

「吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ」 文屋康秀
“山から荒々しい風が吹くと秋の草木もしおれてしまうことだ。だから嵐と言うのか。”

山風だから嵐だという軽いジョークですが、リズムもよくいい歌ですね。

文屋康秀(ふんやのやすひで)という面白い名前の人ですが、この人もプレイボーイだったらしく、三河の国へ赴任するときに小野小町を誘っています。

このときはどうもふられたようですが、
なんといっても小野小町は在原業平、僧正遍昭、とボーイフレンドにはことかきませんから・・・

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2009年10月17日 (土)

伊勢物語「第百一段」:その場の空気が・・・

前に紹介した中納言行平(在原行平)も、伊勢物語に登場します。

第百一段は行平さんの家でのお話です。

行平さんの家においしい酒があるということで、藤原良近(まさちか)というお役人を招待して宴会を開くことになりました。なんといってもこの時代に絶大なる力をもっている藤原氏です。
集まった人たちはなんとかこのお役人にきにいられて出世でもできないかと必死です。

花瓶には一メートル以上もあるるようなりっぱな藤の花が差してあります。なんといっても藤原氏ですから。

そこに現れたのが行平さんの弟、ご存じ在原業平。役人はこの和歌の名人に歌を読めといいます。
日頃から藤原氏にはいい感情を持っていない業平さんは、かたくなにこばみます。
「私なんか歌の読み方もしりませんので・・・」

それでも無理やり読めというので

「咲く花の下にかくるる人を多み ありしにまさる藤のかげかも」

という歌を読みました。

“咲く花のしたにお世話になっている人が多くいるので 今よりもまして藤の花かげがますます大きく見えます。”
という意味ですが、“ありし”は在原にかけているともてれるし、なにかイヤミったらしく聞こえます。

そこにいた人が、どうしてそう詠んだのかと聞くと、「藤原氏がますます栄えるようにと読んだのですよ」と業平さんは、しらじらしく答えましたが、
どうも気まずい空気が流れたようで一同シーンとなってしまい、これ以上歌の話題にはだれも触れませんでした。

その後の宴会はどうなったのかは書いてありませんが、藤原氏の役人もしてやられたという感じで業平さんはさすがに一枚上手だったようです。

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2009年10月16日 (金)

伊勢物語朗読「第百七段」

 昔、あてなる男ありけり。その男のもとなりける人を、内記にありける藤原の敏行といふ人よばひけり、 されど若ければ、文もをさをさしからず、ことばもいひ知らず、 いはむや歌はよまざりければ、かのあるじなる人、案を書きて、書かせてやりけり。めでまどひにけり。 さて男のよめる、

  つれづれのながめにまさる涙河 袖のみひぢて逢ふよしもなし

返し、例の男、女にかはりて、

  あさみこそ袖はひづらめ涙河 身さへながると聞かばたのまむ

といへりければ、男いといとうめでて今までまきて文箱に入れてありとなむいふなる。
男文おこせたり。えてのちの事なりけり。「雨の降りぬべきになむ見わづらひ侍る。身さいはひあらばこの雨は降らじ」といへりければ、例の男、女にかはりてよみてやらす。

  かずかずに思ひ思はずとひがたみ 身をしる雨はふりぞまされる

とよみてやれりければ、蓑も笠もとりあへでしとどに濡れてまどひ来にけり。

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2009年10月12日 (月)

伊勢物語「第百七段」:代筆

ここのところ百人一首を紹介しておりますが、中納言行平、藤原敏行などは伊勢物語にも登場しております。

ということで伊勢物語の第107段。

藤原敏行さんのお話です。
「昔、あてなる男ありけり」で始まりますが、その男とは例の在原業平さん。
その家にいた若い娘を藤原敏行さんがすきになり歌を詠んで送りました。

でもその女は若くて歌も上手に書けないのでそこの主人が代わりに書いてやりました。ラブレターの代筆みたいなものですが、代筆したのがなにせあの業平さんですから、みごとな歌になります。

「つれづれのながめにまさる涙河 袖のみひぢて逢うよしもなし」
“あなたのことを思っていると長雨のときの川よりも多いほど、私の涙で袖が濡れて、あなたに逢うこともできません”

「あさみこそ袖はひづらめ涙河 身さへながると聞かばたのまむ」
“涙の川も浅いので袖がぬれるくらいなのでしょう。体ごと流されるくらいならあなたの思いを聞いてもいいですよ”

と、みごとな歌を返します。業平さんの代筆ですから当然です。

男は代筆とはきづかず、めでたく一夜を共にします。

その後の雨の日に男が女のところへいこうかどうか迷っていると、またも業平さんの代筆で、

「かずかずに思ひ思わずとひがたみ 身をしる雨はふるぞまされる」
“私を思ってくださっているのか聞くことはできませんが、この雨だけが私の気持ちを知っています”

と、またまたみごとな歌を送ったので、敏行さんは蓑も笠もつけず大急ぎでびしょ濡れになってやってきました。こんな歌を送られたら彼女の元へ走らずにはいられませんよね。

敏行さんは代筆とも知らず、かわいそうな気もしますが、めでたく結ばれたので、まぁいっか。
サイドバーのおすすめの和歌は敏行さんの歌に替えました。

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2009年10月10日 (土)

素性法師:今来むと

百人一首にはユニークなお坊さんが結構登場します。
この素性法師も変わっています。

「今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな」 素性法師(そせいほうし)
“すぐに行くとあなたがいったのに、ずっと待っているうちにとうとう9月の有明の月が出てしまったわ”

と、オカマ言葉になっていまいましたが、作者が女性の立場になって詠んだ歌です。
この人は自分で望んで出家したわけではないらしく、父親に無理やり出家させられたそうです。

それでこの父親と言うのは先に紹介した「をとめの姿しばしとどめむ」の僧正遍昭さんです。

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