2019年5月 2日 (木)

令和

元号が令和に変わりました。

万葉集からの引用だということで、にわかに万葉集が注目されています。
私も万葉集は大好きなのですが、今回の梅花の宴の部分は知りませんでした。

序文にその箇所があります。

「天平二年正月十三日、師老(しろう)の宅に萃(あつ)まり、宴会を申(の)ぶ。時に、初春の令月、気淑(うるわ)しく風和らぐ。・・・」

訳は岩波の全集の解説から、
「師老の宅に集まって宴会を開く。あたかも初春のよき月、気は麗らかにして風は穏やかだ。梅は鏡台の前のお白粉のような色に花開き、・・・」

いい序文ですね、穏やかな春の日に、梅の花を鏡の前のおしろいにたとえていますが、この時代からお化粧の文化はあったのかな。

何か穏やかな時代を予想させるいい年号だと思います。

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写真は先日撮った小松天満宮の梅。

 

 

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2018年6月16日 (土)

百人一首暗記

百人一首は全部覚えたつもりだったけど、一首づつ書き出してみると、
結構忘れてる。
ボケ防止のつもりでこんな本を引っぱりだしてきて最初から復習!
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2018年6月 4日 (月)

ほととぎす or かっこう

「ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる」後徳大寺左大臣

百人一首81番、
ほととぎすの声の聞こえるほうをみてみると 明け方の月が見えてる。ただそれだけのことですが、
時代背景は平清盛の全盛時代で都はかなり荒れ果てていたのかもしれません。
作者がほととぎすの声が聞こえて振り返ってみた方向にはどんな風景があったのでしょうか。

荒れ果ててなにもない都に、有明の月だけがきれいに見えていたと想像すると、かなり悲惨なかなしい歌のような気がします。
それで、ほととぎすは幹事で郭公と書きます。
最近、毎朝カッコウの声で目が覚めるのですが、郭公は今はカッコウと読むほうが自然です。パソコンの漢字変換でもかっこうで出てきます。
でも和歌の世界では郭公はホトトギスです。
いつから変わってきたのかはよくわかりません。
とにかく鳴き声からしてもカッコウよりホトトギスのほうがこの歌にはあっているような気がします。

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2018年6月 2日 (土)

百人一首 再読

前の記事からなんと2年以上も放置していました。読んでくださっていた方には本当に申し訳ありません。

最近、百人一首を読み直していて今までとは違った魅力があるのに気づき、しばらく百人一首中心にブログを再開しようと思います。
まずは源実朝
「世の中は常にもがもな渚こぐ あまの小舟の綱出かなしも」

これまでは渚に浮かぶ小舟を眺めて感慨にふけっていたくらいにしか読んでいなかったのですが、この時代の背景を考えてみると動乱の中での一瞬の穏やかさを深く読んでいる素晴らしい歌だなとあらためて思います。
「常にもがもな」というのは、変わらないでいてほしいという意味ですが、実朝は世の中が変わっていくのをひしひしと感じながら読んだのだと思います。
結局暗殺されますが、穏やかな世を望みながらも・・・

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2016年2月28日 (日)

東風吹かば

ひさしぶりの良い天気で、梅の花を見ようと小松市の小松天満宮へ行ってきました。
天満宮ですから菅原道真を祀っています。

「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春を忘るな」 菅原道真、拾遺集

道真が大宰府へ左遷されるときに詠んだ有名な歌です。

”東風が吹いたなら梅の花よそのにおいを飛ばして遅れ、主がいなくても春を忘れるなよ”

大宰府で亡くなった後、怨霊となって恐れられ各地に天神さまとして祀られるようになりました。
この時代、何か天変地異や疫病が流行ったりすると怨霊のせいにされてしまいます。
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小松天満宮の梅は見ごろでした。梅の匂いも香り、菅原道真の気持ちも分かるような気がします。

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2016年1月27日 (水)

忍ぶ恋 式子内親王

忍ぶ恋つながりで、式子内親王の歌です。

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする」 式子内親王(しょくしないしんのう)

“玉の緒”は魂と体をつないでいる紐みたいなもので、これが切れるということは死ぬことを意味します。
“死ぬのなら死んでもいい、生きていれば耐え忍ぶ心も弱まるだろうから”

なんともすさまじい歌ですね。
やはり女は怖い。前の二人の男とは迫力が違います。

式子内親王は斎宮という身分でもあり結婚することも許されず、藤原定家との噂もあり、悲しい人生を送ったようです。

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2016年1月19日 (火)

忍ぶ恋

忍ぶつながりで、平兼盛の歌の前に置かれているのが参議等(さんぎひとし)のこの歌です。(参議等=源等)

浅茅生(あさぢふの)の小野の篠原しのぶれど あまりてなどか人の恋しき」 参議等

“あなたのことをずっと思い焦がれているのですが、もう耐え忍ぶこともできないくらいになってきました”

ちょっとストーカー的ともとれますが、今のところはまだ思っているだけのようです。
忍ぶといっても忍者のように忍んで行って付きまとっているのではありません。

この歌の前半の部分ですが、

「浅茅生の小野の篠原しのぶとも 人知るらめやいふ人なしに」古今集、よみ人知らず

を本歌としています。
これではほとんどパクリと今では言われそうですが、こういう本歌取りという手法なので、この時代では白紙撤回しろとかいう突っ込みはなかったようです。

しかし半分くらい替えただけで、前の歌とはがらりと変わってまた素晴らしい趣が出てくるところは作者の力量ですね。

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