田子の浦に or 田子の浦ゆ ?
百人一首でも有名な富士山の歌。
「田子の浦にうち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ」 山部赤人(新古今集)
“田子の浦まではるばる来てみると、富士山の高いところは真っ白になっている。今でも雪は降り続いているのだ”
この歌は実は万葉集には違った形で載っていて、よく読んでみると意味もかなり違ってきています。
万葉集では、
「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける」 山部赤人(万葉集)
“田子の浦ゆ”の“ゆ”がまず違いますが、これは“~から”“~を通って”という意味で、経由の由(ゆ)です。
となると”田子の浦に”ではここから富士山を見たという事になりますが、“田子の浦ゆ”ではここを通って富士山が見えるところまで出たという意味になります。
“雪は降りつつ”と“降りける”でもかなり違います。“つつ”では今も降っているという意味ですし、“ける”では降ったということになりますね。
“白妙の”と“真白にぞ”でもかなり違ってきます。
万葉集では、こんな意味になります。
“田子の浦を通って視界が開けたところまで出てみると、富士山の高いところには真っ白い雪が積もっていた”
いかにも万葉集らしい雄大な歌です。
それが新古今の時代になると歌の雰囲気も変わり、平安朝らしい優雅な響きになっています。これを改悪といって非難する人もいますが、新古今の時代にあわせて変えられた歌も私はすばらしいものだとおもいます。
富士山も万葉の時代は猛々しい活火山で、その後噴火も収まり優雅で女性的な山に変わっていたという見方もあります。
さて皆さんはどちらの歌がすきですか?
写真は富士市在住のkanさんにお借りしました。 Kan's Room
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コメント
まあ、好みの問題だなあってのが実感ですね。新古今の頃にはもう万葉仮名はうまく読めないものになっていた。だから、その時代の好みの適合する訓みを平安人が考え出したのであって、改作とは言う問題とは違いますよね。新古今の人々は、こんなふうに読むんだと信じ切っていたんでしょう。
投稿: gatayan | 2009年1月 4日 (日) 20時10分
gatayanさん、ありがとうございます。
やはりそれぞれでしょうね。
雄大な万葉集、幽玄な新古今、同じ歌で二つの時代を見ることが出来るのですから、今の時代のわれわれは幸せといえるかもしれませんね。
投稿: kazu | 2009年1月 5日 (月) 09時31分
万葉集の方は知っていましたが、古今和歌集の方は存知ませんでした。
歌を作る方は、作った後あれやこれやと推敲するときいていますが、分かりますね。
投稿: 豪腕プチリンコ | 2009年1月 5日 (月) 11時25分
プチリンコさん、コメントありがとうございます。
ちょっと補足しておきますと、山部赤人がこの歌を詠んだのは、700年くらい、新古今集や百人一首に載ったのは1200年くらいなので、500年の隔たりがあります。
新古今・百人一首の選者である藤原定家か他の誰かが読み替えたのか、500年のときを経て自然に読み替えられたのか、そこのところは想像するしかありません。
投稿: kazu | 2009年1月 5日 (月) 12時17分
へー、そうなのですか。家持さんも500年は生きてはいませんよね。むずかしー。
投稿: 豪腕プチリンコ | 2009年1月 5日 (月) 19時10分
>プチリンコさん
あまり難しく考えず声に出して読んでみると和歌のすばらしさがわかります。^^
投稿: kazu | 2009年1月 6日 (火) 11時12分
正月も七日となる
いかがお過ごしなる哉^^
嗚呼
赤人様の御歌なるかな・・・
いとよろし^^
して
この短歌は「反歌」にして
この歌を導く長歌のあれば
その秀麗にして壮大なるを
予は心底好むものなり
現代語風にすれば・・・
田子の浦を打ち出てみれば真っ白に富士山頂に雪は降ってる 丹人
となるも
やはり
軽すぎてあかんのほ^^
「ゆ」がどうも・・・といふ御方には
「より」とするがよろしとおもへる
田子の浦より打ち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける
さは だふじゃ?
頓首
投稿: あかひと | 2009年1月 7日 (水) 16時29分
あかひと様、コメントありがとうございます。
あかひとと名前が付いているからにはかなり思い入れがあるのでしょうね。
長歌の方は私も大好きです。
なるほど「ゆ」を「より」とすると、すんなり意味がわかりますねー、なっとく。
投稿: kazu | 2009年1月 7日 (水) 17時53分
そういう違いだったんですかぁ!!!
分かりやすい説明ありがとうございます^^☆
投稿: そら | 2010年10月 5日 (火) 21時03分
そらさん、コメントありがとうございます。
分かりやすいと言ってくださればなによりです。
またおいでください。
投稿: kazu | 2010年10月 5日 (火) 22時08分
早大国文科の岩津教授が、やはり、この歌の助詞「に」と「ゆ」について講義をされたのを思い出しますが、ご指摘のように、「ゆ」は、経由の由、一つの「ものの動き」、「運動」を示すということを指摘しておられました。
どちらを採るにしても、とにかく、研究というのは奥深いものだと感じた次第です。
投稿: 真柄 隆 | 2011年11月15日 (火) 04時31分
真柄様、コメントありがとうございます。
1300年ほども前の和歌の真偽はわかりませんが、いろいろと想像をめぐらせてみるのも楽しいですね。
投稿: kazu | 2011年11月15日 (火) 09時21分
田子の浦ゆ…
信州 松代藩文武学校で松代雅楽で『富士』の演奏がありました。
拙「六茶ぶろぐ」の文化の日
http://blog.goo.ne.jp/zousanroku/e/3f028b716c4c4f0164d5d2abe444adb1
投稿: roku | 2011年11月23日 (水) 20時57分
西伊豆に行ったので田子の浦からの富士山をみるぞ!
と思ってはりきっていました。
「田子の浦に」の方が頭にあって、田子の浦一帯を歩いたのですが、そこからは富士山は見えませんでした。土肥のあたりからの富士山がきれいで、昔は田子の浦って今より広い範囲だったんだよね、きっと。ということで帰ってきました。
でも、「ゆ」だと歌通りですね。赤人さんがどこから田子の浦に出たんだろう・・・とか想像がひろがるし。
やっぱり元の歌通りがいいなあ~と思いました。
投稿: もり | 2012年8月27日 (月) 09時39分
もりさん、コメントありがとうございます。
実は私は田子の浦へ行ったことがなく、一度行ってみたいと思っているところです。
土肥のあたりですか、参考になります。
投稿: kazu | 2012年8月27日 (月) 12時46分
田子の浦について、現在は富士市南側の海岸地域を指します。富士山が東海道沿いで見易いのは沼津市原地区(前に愛鷹山があり頭だけ)から西に富士市の富士川を越えた辺りで、新幹線内で皆さんが良く見られる範囲ですね。
万葉の頃はもう少し西、静岡市由比地区に近い方まで指したようです。なお、西伊豆に「田子地区」があります。そちらでも岬に出れば富士山が遠望できますが、海岸沿いの道から見ることができるのは限定的です。東西交通の道から大きく外れるので、歌が詠まれた場所とは考えにくいです。
この歌の歌碑は田子浦港の港公園内に建てられていて、それは万葉の長歌と反歌を紹介しています。富士市民としては、万葉の雄大さがしっくりきます。
投稿: のちーーkan | 2012年12月 4日 (火) 16時14分
のちーーkan様、コメントありがとうございます。
写真のサイト拝見しました。
もしよければブログの記事に富士山の写真を載せたいと思います。お借りできないでしょうか。
投稿: kazu | 2012年12月 4日 (火) 17時56分
Kazu様
早速のご返答ありがとうございます。
いわゆる典型的な写真ではなく、富士市民の見た目からの日常写真というスタンスです。拙い写真でよければお使いください。私の絵日記または掲示板にお知らせいただければ幸いです。
投稿: kan | 2012年12月 4日 (火) 18時22分
立派なご紹介、ありがとうございます。後日リンクさせていただきますので、
よろしくお願いします。
投稿: kan | 2012年12月 4日 (火) 21時33分
田子の浦ゆ と言ったからには山辺赤人は現地へ行ったのでしょうか。それは陸路なのか、それとも海路なのか。打ち出でて初めて富士山の頂上が見えたのか。そして何処から田子の浦へ進んだのか。東の方から田子の浦へ陸路を進んだとしたら富士山が愛鷹山や大岳に遮られて見えない。田子の浦の辺りまで西進すれば視界が広がって富士山が一望できる。西から田子の浦に向かっていれば、田子の浦に付く前に富士山は見えていたのでこの一首のポイントは富士山の雪ではなくて田子の浦になってしまう。赤人は何の用事で田子の浦に行ったのだろう???
投稿: springwood | 2013年1月25日 (金) 16時40分
springwood様、コメントありがとうございます。
私は研究者ではないのでよくわかりませんが、聖武天皇の行幸に同伴したのか、ひとりで旅をしていたのか、どんな富士山をみたのか、空想を巡らすだけでも楽しいですね。
投稿: kazu | 2013年1月26日 (土) 11時45分
私は万葉集の方が好きです。
万葉集の後で 百人一首を習ったとき、改悪だと思ってしまいました。「真白にぞ」と言うところに美しい雪をかぶった富士山を見た感動を感じます。これが「白妙の」では感じられません。
また、「雪は降りつつ」は遠い所から見て降っているのがわかるのでしょうか?婉曲に表現しているのでしょうが、ここは「降りける」でしょう。
あまり他の歌は知りませんが、新古今和歌集より万葉集の方が雄大で技巧に走らず私の好みです。
投稿: bizan | 2015年6月27日 (土) 12時36分