筒井筒
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伊勢物語から幼馴染の男女が結ばれる話。
小さい頃井戸の周りで遊んでいた男女が、大人になったら恥ずかしくなって会うこともなくなった。
でも男は結婚したいと思っている。女も親は反対するがこの男のことを思っている。
ある日、男は思い切って歌を届けます。
“筒井筒(つついつつ)=井戸の周りの垣”
この話は後に筒井筒という能になっているそうです。
「筒井(つつゐ)つの井筒(ゐづつ)にかけしまろがたけ 過ぎにけらしな妹(いも)見ざるまに」 男
“井戸の周りの垣に届かなかった僕の背丈も 君に会わないうちにもう高くなってしまったよ”
「くらべこしふりわけ髪も肩すぎぬ 君ならずして誰かあぐべき」 女
“くらべっこしていた髪の長さも、もう肩を過ぎてしまいました。髪上げをしてしてもらうのはあなた以外にはいません。”
髪上げというのは女性の成人式のようなもので、髪上げをしてもらった男性と結婚することが多かったようです。
ということは、この二首はプロポーズとOKの答えのようなものです。めでたしめでたし。
しかし、この物語には続きがありまして、すんなりとは・・・後半はまた次回に。
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今年もやってきました。
ラ・フォル・ジュルネとはフランスで始まった音楽祭で、クラシック音楽をその年の作曲家をテーマにとことん楽しもうといったもの。東京と金沢で毎年5月のゴールデンウィークに行われている。
今年のテーマは東京がバッハ、金沢がモーツァルト。
これは悩みます。なぜならバッハは私が一番好きな作曲家であり、次がモーツァルトなので非常に困るわけです。
今年はバッハとはじめは思っていたのですが、なんといっても東京。交通費と宿泊費はバカにならない。
金沢ならうちの近くの駅から190円でいけるので、結局はモーツァルトに決めました。^^;
そろそろ指定席の先行販売もはじまるようです。
クラシックはちょっと、という人でも絶対に楽しめる音楽祭です。
みなさんもいかがですか。
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新古今集を開いてみると、前回ご紹介した定家の歌の前後に梅の花を歌った作品がずらりとならんでいます。
定家の歌の次には藤原家隆の歌が続きます。
「梅が香に昔を問へば春の月 答えぬ影ぞ袖にうつれる」 藤原家隆朝臣
“梅の香に誘われて昔を思い出してしまった。月に訪ねても答えてくれない。私の袖は涙で濡れ月の光が映るばかり”
涙でぬれた袖に月が映る。前の定家の歌とほとんど同じ状況です。家隆さんの過去には何があったのでしょう。
定家と家隆はライバル同士。女性問題でもめた?なんてことはどこにも書いてありません^^;
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梅の花を歌った定家の素晴らしい歌があります。
「梅の花にほひをうつす袖のうへに 軒漏る月のかげぞあらそふ」 藤原定家
“私の袖の上では梅の花の香りと軒から漏れる月の明かりが競い合っている”
なんという素晴らしい表現でしょう。月の光が映っているというのですから、涙で袖が濡れているとも表現しています。
実はこの歌は伊勢物語の「月やあらぬ・・・」の歌をもとにしています。業平があばら家で愕然として涙している姿を思い浮かべて下さい。
兼六園の梅の花の写真でも載せたいと思ったのですが、あいにくの雪もようでして、あかひとさんが写した偕楽園の素晴らしい写真をお借りしました。
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しばらく春のような天気が続いたかと思ったら、突然雪もよう。真冬に逆戻りしてしまったようです。
梅の花も少しは咲き出したというのに雪の花になってしまいました。
雪と梅と、月は出ていませんが。
「雪の上に照れる月夜に梅の花 折りて贈らむ愛しき児もがも」 大伴家持
“雪の上に月が照っているきれいな夜に 梅の花を折って贈るような愛しい娘がいたらなぁ”
これは家持が宴席で詠んだ歌だそうです。
宴会の席でこんな歌をさっと詠めたらさぞかしもてるでしょうね。
いまだったらセクハラーといわれるかもしれませんが^^;
雪月花(せつげつか)というと、日本各地にあります。
たいがいレストランかお菓子、お酒、こちらのほうではあの有名な和倉温泉加賀屋の客室「雪月花」でしょうか。
でもほんとは万葉集の家持のこの歌を連想してもらいたいものです。「雪月花」をはじめに使ったのはこの歌だそうです。
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「月やあらぬ春や昔の春ならぬ 我が身ひとつはもとの身にして」
この和歌が出てくるところです。
梅の花が咲くころ、月をながめて愕然としている男です。
記事の方も参考にしてください。
http://wakaotazunete.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-fdf2.html
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「朗読小屋 浅野川倶楽部」の表川なおきさんの朗読のホームページが北陸中日新聞に紹介されました。
金沢出身の文豪、徳田秋聲の作品の朗読です。表川なおきさんと浅野川倶楽部代表の高輪眞知子さんの朗読も聴けます。
どうぞお聴きください。
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伊勢物語の第四段です。古今集にも載っている在原業平の有名な歌がでてきます。
「月やあらぬ春や昔の春ならぬ 我が身ひとつはもとの身にして」 在原業平
なにか調べがいいですね、意味は細かく見るとややこしいのですが、だいたいこんな意味です。
“月も春の花もすっかり昔とは変わってしまった。変わらないのは私だけかぁ”
どんな場面かといいますと、業平は例の連れて逃げようとして鬼に食われてしまった(第六段)の藤原高子(二条の后)の所へ通っていたのですが(まだ駆け落ちする前です)、
身分も違うし、まわりの者はあまりよく思っていなかったようで、こっそり別の屋敷へ隠してしまった。
そうともしらずしばらくしてから逢いに行った業平は、ガランとして誰もいないあばら家で途方に暮れ、泣きながら帰るというところです。
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金沢市の「朗読小屋 浅野川倶楽部」の春公演のお知らせです。
金沢三文豪の作品の朗読です。
三文豪というのは泉鏡花、徳田秋聲、室生犀星の三人。
うちのnorikoさんの出番は、3月14日の夜だそうです。
入場料は1000円、近くのお店で使える300円券が付きます。
「浅野川倶楽部」は浅野川のほとりにあり、近くに三文豪にちなんだ施設などもありますので、よかったらお出かけ下さい。
2009朗読で綴る金沢文学 ~金沢三文豪の世界~
3月6日(金)~22日(日)毎週金・土・日
開演時間 金土日13:30 / 土祝18:30
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伊勢物語の出だしです。
伊勢物語は比較的簡単な古文で書かれており、ひとつひとつの話が短いので原文でも読みやすいと思います。くりかえし読んでいると不思議と意味がわかってきます。
内容は前の記事をご覧ください。
http://wakaotazunete.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-d346.html
朗読はいつものnorikoさんです。
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そして藤原定家は百人一首に自分の歌の中から恋の歌を入れています。
「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ」 藤原定家
松帆の浦へ行ったことはありませんが、明石海峡を望む岬のあたりのことのようです。一度行ってみたいものです。
“来ることのないあの人を松帆の浦の夕凪の中で待っている私の心は藻塩を焼く火のように恋い焦がれています”
この歌が式子内親王の「忍ぶる恋」の歌を意識したものかはわかりませんが、並べてみるとこれほどピッタリ来る歌はないように思います。
定家の歌には「駒とめて・・・」や「春の夜の夢の浮橋・・・」など素晴らしい歌がたくさんありますが、あえてこの歌を百人一首に入れたというのは・・・
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伊勢物語で斎宮の恋物語が出てきたので、今日は百人一首から式子内親王(しょくしないしんのう)の歌を紹介します。
式子内親王は後白河天皇の皇女として生れ、賀茂斎院を十年間努めその後は出家して一生独身を通しました。
斎院といえば神に仕える身ですから恋など許されるわけがありません。
恋をしてしまったら耐え忍ぶ他はないのです。
その恋してしまった相手が実は藤原定家さんだったという噂が・・・
「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする」 式子内親王
『玉の緒』とは魂と体を結びつけている紐のこと。これが切れると死んでしまいます。
“玉の緒よいっそのこと切れてしまえ、これ以上生きていると恋を忍ぶことが出来なくなりそうです。”
この歌を百人一首に選んだ定家はどう思っていたのでしょう。親王は定家より年上だったようですが、年の差なんか関係ない、しかし相手は神に仕える身、しかも天皇の皇女で身分もちがうし・・・
この歌は百人一首の中でもトップをあらそう人気のある歌だそうです。忍ぶる恋を歌った素晴らしい歌です。
写真はこの歌とは関係ありませんが、裏の川にいるサギです。どういうわけか寒くなると現れます。
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伊勢物語を少し読んでみたら、おもしろくて思わずのめりこんでいまいました。
一段が短いので、原文でも十分読めます。意味がわからなくても声に出して読んでいるとふしぎとわかります。和歌もいいし、源氏物語とはまた違った面白さがあります。
第一段
『昔、男初冠(うひかうぶり)して、平城(なら)の京春日(かすが)の里に、しるよしして、狩にいにけり。
その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。
この男かいまみてけり。おもほえずふるさとにいとはしたなくてありければ、心地(ここち)まどひにけり。
男の着たりける狩衣(かりぎぬ)の裾を切りて、歌を書きてやる。その男、しのぶ摺(ずり)の狩衣をなむ着たりける。
「春日野の若紫すり衣しのぶのみだれかぎり知られず 」
となむおひつきていひやりける。ついでおもしろきことともや思ひけむ。
「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑにみだれそめにし我ならなくに」
といふ歌の心ばへなり。昔人(むかしびと)は、かくいちはやきみやびをなむしける。』
“初冠”は元服のこと、しのぶ摺=“しのぶもぢずり”は東北の染め物です。、伊勢物語は古文の教科書によくでてくるので、高校生あたりはこのへんで古文がだんだん嫌いになっていきます。それでは困るので少しおもしろくすると。
“いとなまめいたる”はメチャクチャ色っぽい。“はらから”は兄弟なので、
“いとなまめいたる女はらから”は“叶姉妹”です。
“いとはしたなくて”は今のはしたないではなくて、田舎にはふさわしくないという意味です。
ということでこの話はこんな内容です。
「元服したばかりの業平君は奈良の春日の里に狩りに出かけた時に、偶然、叶姉妹のようなメチャクチャ色っぽい姉妹をかいま見てしまった。こんな田舎にこんな美人がいるとは!
それで、いてもたってもいられなくなり着物の袖を破って和歌を書いて送った。
そういえば昔の和歌にも『しのぶもぢずり』が出てきたのがあったっけ。昔の人もなかなか風流なものだ。」
伊勢物語の出だしはこんな調子ではじまります、これからこの業平君はどんな風に成長していくのか楽しみですね。
最後の和歌は、百人一首にも入っていますが、光源氏のモデルの最有力人物、源融(みなもとのとおる)の歌です。「しのぶもぢずり」というのは福島県に伝わるしのぶ草で染めた染物で、その乱れた模様を自分の心にたとえて、“あなたのせいで私の心も染め物の模様のようにみだれています”という意味です。
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伊勢物語から在原業平の有名なスキャンダルをもう一つ。
業平が伊勢の斎宮と恋をしたという大事件です。斎宮といえば神に仕える身、男との関係などあってはならないことです。
斎宮が業平と会った翌朝に贈った歌(伊勢物語第六十九段より)
「君や来し我や行きけむ思ほえず 夢かうつつか寝てか覚めてか」 斎宮
“あなたがきたのか私が行ったのか、夢かうつつか、寝ていたのか覚めていたのか、私にはわかりません”
「かきくらす心の闇に惑ひにき 夢うつつとは今宵さだめよ」 業平
“心が乱れていて私もわかりませんでした 夢かうつつかは今宵みきわめてください”
かなり危険な恋なのですがこんな歌を女性から送られてはあきらめきれません。結局、また逢うことは出来なかったようですが、
この二首の和歌は古今集にも載っています。
この和歌をもとにしたイラストをいつもお世話になっているイラストレーターの“しまめぐみ”さんが書かれていますのでお借りします。
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前の記事で紹介した、伊勢物語の朗読です。在原業平と藤原高子(二条の后)の話を題材としています。
原文で読んでいますが雰囲気は伝わるかと思います。
伊勢物語六段
『昔、男ありけり。女のえ得(う)まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。芥川(あくたがは)といふ河を率(ゐ)ていきければ、草の上に置きたりける露を、「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。
ゆくさき多く、夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥におし入れて、男、弓・胡(やな)ぐひを負ひて戸口に居り。はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に食ひてけり。「あなや」といひけれど、神鳴るさわぎに、え聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見ればゐて来(こ)し女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。
白玉かなにぞと人の問ひし時露と答へて消えなましものを 』
“神さへいといみじう鳴り”の神はカミナリです。
結局駆け落ちしたけれど連れもどされたという話が物語となっています。鬼となって登場するのは高子姫のお兄さんだそうです。
業平は高子の屋敷で竜田川の屏風を見て、あの「ちはやぶる・・・」の歌を詠んでいます。
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