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2009年3月

2009年3月30日 (月)

桜がなかったら・・・

今日は暖かい日でした。タイヤ交換もしたし、やっと春という感じです。

桜の開花宣言が富山で出たらしい、福井ではもう出ている、石川はまだか?なんてどうでもいいようなことですが、なにかソワソワする時期です。
年度末、移動、卒業、入学、あまりに周りがソワソワしていると、自分まで落ち着かないような・・・もう会社にいるわけでもないし、関係ないのですが・・・

「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」 在原業平、古今集
“世の中に桜というものがなかったら 春はのどかなものなんだろうなぁ”

ご存じプレイボーイの業平さん、なかなか渋いことをいいますが、花見の宴会での歌ですから、十分桜を楽しんでいるようです。
でも桜がなかったらやっぱりさびしいでしょうね。

もちろん伊勢物語にも出ています。「第八十二段」

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2009年3月29日 (日)

伊勢物語朗読「第二十四段」

三年間夫が戻ってこなかったので新しい夫を迎えた。
ところが新しい夫と結婚したその日に前の夫が帰ってきたという話。

原文はホームページに載せてあります。

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2009年3月28日 (土)

室生犀星2

室生犀星のことを書いていたら昔のことを思い出してしまいましたので、もうひとつ紹介します。
小さい頃は犀川でよく遊んだものです。

      「犀川」

  うつくしき川は流れたり
  そのほとりに我は住みぬ
  春は春、なつはなつの
  花つける堤に坐りて
  こまやけき本のなさけと愛とを知りぬ
  いまもその川のながれ
  美しき微風とともに
  蒼き波たたへたり

美しい詩ですねー。
花つける堤に座っていたことは確かにありましたが、
こまやけき本のなさけと愛とを知ったことは・・・あったかなぁ。

そういえばこの「本」はbookではなく本当のという意味ですね。
私は最初、堤に座って本を読んでいたのかと思っていました^^;

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2009年3月26日 (木)

室生犀星

先日の朗読小屋浅野川倶楽部の公演では室生犀星の詩が取り上げられていました。
その後、すぐに東京へ出かけることがあったので、それからずっとこの詩が気にかかっていました。

とても抒情的で親しみやすい詩なのですが、よく読むと意味は深いものがあります。

  ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの

金沢では小さい頃からこのフレーズはよく聞かされます。
合唱曲にもなっていて、私も暗記しておりますが、
ここまではリズムもよく、これだけで独立した和歌としても通用しそうです。
しかし、次のフレーズでは突然、最初のフレーズを突き破るような鋭い表現になります。

  よしやうらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
  帰るところにあるまじや

たとえうらぶれて乞食になったとしても帰ってくるところではない。
という意味ですが、金沢はそんなひどいところだったのか、と
犀星と同じ金沢を流れる犀川のほとりで育ったわたしは考えてしまいます。

  ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ

ここまで読むと犀星は都(東京)にいて、ふるさとのことを思っているという内容ですが、
その後の

  そのこころもて
  遠きみやこにかへらばや
  遠きみやこにかへらばや

を読むと、これはふるさと金沢で詠んだ詩というふうにとれます。
詳しく調べてみると金沢で作った詩だということで、
金沢にいて都東京を詠んだ詩というのは間違いないようです。

よく読んでみるとかなり複雑な心境が入り混じっている詩ですが、
ふるさとを愛していた犀星が、強い決意を持って上京しようとする気持ちを読んだということでしょうか。

何度読んでもいい詩です。同じところで育ったというのもあり、犀星には特別の思いがあります。
そういえば、小学校の校歌も犀星作でした。

 「菊の香りを名に持ちて 薫がごとき幼さを
  今日もよき日ぞ 犀川の 川波青く山にはゆ」

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2009年3月23日 (月)

伊勢物語は原文で

伊勢物語は、ぜひ原文で読むことをおすすめします。

各段は短編でどこから読んでもいいですし、和歌も名歌が揃っています。
これまでブログで取り上げた段の原文をホームページのほうに載せましたので、ぜひ読んでみてください。古文はわからなくても読んでいるとなんとなくわかります。

http://homepage3.nifty.com/wakaotazunete/ise.html

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2009年3月22日 (日)

伊勢物語「第六十二段」:これはひどい・・・

前に紹介した六十段とよくにた話です。
六十段で男は三年間留守にしたらほかの男と一緒になった女に、自分が悪かったと思ってかっこよく「幸せになれよ」といって田村正和のように去りますが、今度は違います。

はじめの展開はほとんど同じです。

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何年間かたずねていかなかったらほかの男と一緒になっていた。
偶然、地方を訪れた以前の夫に食事を出すことになってしまった。
男は夜になって女を呼び、こんな歌を送った。

「いにしへのにほひはいづら桜花 こけるからともなりにけるかな」
“昔の桜花の美しさはどこへいったものやら 花も落ちて幹だけのみすぼらしい姿になったものよ。”

返事も出来ないでいる女に、なぜ黙っていると言うと女は、
「涙がとまらず、目も見えず声も出ません」と答える。

男は、

「これやこの我にあふみをのがれつつ 年月ふれどまさりがほなき」
“これはまた私のもとを出て行って年月がたったが全くきれいにもなっていないし、生活もよくなっていないのだなぁ”

と、泣き崩れ声も出ない女に追い打ちをかけるような歌を送り、自分の服を脱いで与えた。

女はそれを捨てて逃げてしまい、行方不明になった。

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これでは、ひどい男といわれてもしょうがありません。
俵万智さんは「恋する伊勢物語」の中で、この物語の中で一番ひどい男だと言っています。
すくいようがありません。


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2009年3月21日 (土)

東京紀行

年に1度くらいは東京に行きます。
東京にも古き良き文化はたくさんあります。

今回訪ねたのは目黒雅叙園の百段階段で開催されている平山郁夫展。
このブログを読んでくださっているサファイヤさんのブログに紹介されており、ぜひと思い行ってみました。
昭和初期の豪華な文化と平山画伯のすばらしい絵がミックスされている不思議な空間でした。となりの超近代的な高層ビルとのアンバランスな感覚も加わって、異次元に迷い込んだような感覚でした。

その後は、東京行きのメインイベントの母校明治学院での会議。
ここにも昭和初期の文化財が。在学中はあまり気にしませんでしたが、こうしてみるといいものが残っています。そのチャペルでの会議の内容はともかく、東京もたまにはいいですね。

目黒雅叙園から白金の学院まで、こんなに遠かったかなぁ、おまけに白金の住宅街で道を間違えてしまいくたくたに^^;

東京へ行ったからにはもちろん秋葉原もウロウロしてきましたが、疲れたけどいい東京行きでした。

サファイアさんのブログ「時空を超えて

写真は目黒雅叙園と明治学院小チャペル

Gazyoen Chapel 

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2009年3月15日 (日)

伊勢物語:俵万智訳

俵万智さんの「恋する伊勢物語」という本を読んでいたのですが、俵さんは子供のための伊勢物語の現代語訳をだされていることが書いてありました。

興味があったので図書館で借りてみたのですが、なかなかおもしろい。
小中学生だけに読ますのはもったいない。ということで前回の第二十四段の部分を引用してみました。

三年間離れていた夫婦の微妙な関係を俵万智さんなりの考え方で訳しています。
四つの和歌もみごとです。原文の和歌と比べてみてください。ピリオドがこの話のキーワードです。

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 むかし、ある男がかたいなかに往んでいた。いつまでもこんなところに住んでいてはうだつがあがらないので、都で宮仕えをすることにした。男には愛しあった妻がいたが、かならずりっぱになってもどってくるからと、いいおいてでていった。
 「きれいな着物を買ってきてやるからな。」
 「連絡がないときは、元気でやっているものと思ってくれ。」
 夫のそんなことばを信じて、女はじっとまっていた。が、一年がたち、二年がたち、ついに三年めになっても、なんの音沙汰もない。
 「都でなにかわるいことでもあったのかしら。それとも、もしや、新しい恋人でも・・・?」
 ひとりでもの思いにしずんでいると、どうしてもわるいことばかり想像してしまうのだった。女のはうにも、いいよってくる男がいないわけではない。そのなかでもとくに熱心な男がいて、あれこれとやさしいことばをかけてくる。
 さびしさと不安でいっぱいの心に、それらのことばは、しみじみとしみてくるのだった。
 それは夫が都へでて、ちょうど三年になるという日の夜。女はついに決心をして、新しい男を迎えいれることにした。その目の夜にきてばしいという返事をしたのも、やはり「三年」という節目を思ったからである。
 「わたしも、新しい人生を歩みだそう・・・。」
 緊張してまっていると、戸をたたく者がある。
 「彼だわ---。」そう思って入り口に近づいていくと、なんと、なつかしい夫の声がするではないか。
 「帰ってきたよ、ちょうど三年めのこの夜に。またせてしまってわるかったね。都で成功するまでは手紙も書かない、とがんばってきたのだが、やはり心の支えはきみだけだったよ。さあ、はやくこの戸をあけておくれ。」 
 女はぼうぜんとして、しばらくのあいだ立ちつくすのみだった。ガタガタとふたたび戸をゆする音に、はっとわれにかえる。あんなにまっていた男の帰りを、こんなかたちで迎えようとは、ゆめにも思わなかった。しかし、新しい男との今夜の約束のことを思うと、戸をあけることもためらわれる。
 かろうじて女は1首歌を詠み、戸の外へさしだした。

  三年を君にささげてまちわびて 今夜打たれるはずのピリオド

男は歌を読み、すぐに「ピリオド」の意味を理解した。

  梓弓ま弓つき弓これからは 我と思って彼を愛せよ

むかしの歌に「弓というなら、みなおなじ。梓弓でもま弓でもつき弓でも、みなけっこうだ。」というような歌がたしかあった。べつの男とでも、おまえはうまく愛しあっていけるだろう、そんな思いがこめられているのだろうか。女は男の返歌を読んで、いっそうせつなくなった。男が去っていく気配がしたので、こらえきれずにもう1首、歌を詠む。

  梓弓ひかれひかれていまもなお 心は君にひかれるばかり

 しかし男はまことにいさぎよく、去っていってしまった。わたしの愛していたのは、昨日までのあなただったのだ、とでもいうように。
 男としては、妻が三年ものあいだ、ひたすらまってくれていたことを確認できただけでも、幸せだと思いたかった。あとは彼女の、これからの幸せを祈るほかはない。第二の男と、ごたごたもめるのもみっともない。わるいのはわたしのほうだ。
 しかしさびしさと同時に、男はすこしほっとしている自分にも気がついていた。正直なところ、こわかったのである。自分の心のなかには、いつも妻がいた。が、その妻は、三年前の妻なのだ。妻のほうにしても、三年前のわたしの面影だけをたよりに生きてきた。その間のことを、彼女はなにも知らない。
 おたがいにいだきつづけてきた面影を、そっとこわさずにいるほうが、むしろいいのかもしれない。ふたりの愛は、それぞれの心のなかで完結する---これこそ美しいピリオドではないか。男はそんなふうにも思ったのだった。
 残された女のほうは、悲しみにうちひしがれていたが、とうとう決意して、夫のあとを追いはじめた。今夜の約束など、もうどうでもいいという気持ちだった。しかし、走っても走っても夫の姿はない。
ついに力つきて、清水のわきでているところに、ばったりと倒れふしてしまった。
 そこにあった岩に、女は歌を書きつけた。もちろん、筆などあろうはずはない。自分の指を傷つけて、その血で岩に書いたのである。

  まつという愛の形もなくなって わたしが選ぶこれがピリオド

そして女は、その場にみずからの命を断ったのだった。

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男も女も、これでピリオドを打ってしまったのです。
これが小中学生に理解できるのかは疑問ですが・・・
素晴らしい訳だと思います。

今回参考にした2冊の本を紹介しておきます。

 

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2009年3月14日 (土)

伊勢物語「第二十四段」・・・三年目の・・・

伊勢物語の夫婦の話はどう判断するかは読者にゆだねられている感があります。

この話もかなり考えさせられます。

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男は田舎に妻と住んでいたが宮仕えをすることになり、別れを惜しんで都へ単身赴任した。その期間は3年にもなってしまった。
その間、女は待っていたが熱心に求婚してくる男がいた。夫はいつ帰ってくるかもわからないので3年待ってくれといったあったが3年たったので、その男と結婚することにした。
ところがなんと結婚するその日に夫が帰ってきてしまった。

「戸をあけなさい」と夫は言うが、女は歌を書いてすきまから差し出した。

「あらたまの年の三年(みとせ)を待ちわびて ただ今宵こそ新枕すれ」
“三年間待ちわびていたのですが、実は今夜結婚することに・・・”

男はがっくりきたが

「梓(あづさ)弓ま弓槻(つき)弓年をへて わがせしがごとうるわしみせよ」
“いろいろなことがあったけど、これからは新しい夫を愛して仲良く暮らしなさい”

といって立ち去ろうとした。
女は返しの歌を送って止めようとした。

「梓弓引けど引かねど昔より 心は君によりにしものを」
“いろいろありましたがあなたのことはずっと愛していました”

しかし、男はいってしまった。
女は必死に追いかけるが追いつかない。
とうとうきれいな湧水のあるところで倒れてしまった。
女はそこにあった岩に指の血で歌を書き、息絶えた。

「あひ思はで離(か)れぬる人をとどめかね わが身は今ぞ消えはてぬめる」
“私のことをわかってくれずに去って行く人をとどめられず、私の命は消えてゆきます”

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三年間帰らなかったら、うちには入れてもらえないのは普通だと思いますが、この男の送った歌でまたも女は昔のことを思い出してしまい気が変わったということなのかと思います。
あづさ弓というのは、押したり引いたりしていろいろなことがあったというたとえで使うようです。

こんな話ですが、皆さんはどう思われますか?

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2009年3月13日 (金)

伊勢物語朗読「第六十段」

昔、男ありけり。宮仕へいそがしく心もまめならざりけるほどの家刀自、まめに思はむといふ人につきて人の国へいにけり。この男宇佐の使にていきけるに、ある国の祇承の官人の妻にてなむあるとききて、「女あるじにかはらけとらせよ。さらずは飲まじ」といひければ、かはらけとりて出したりけるに、さかななりける橘をとりて、

 「五月まつ花たちばなの香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」

といひけるにぞ思ひ出でて、尼になりて山に入りてぞありける。

※家刀自(いえとうじ)=主婦
 祇承の官人(しぞうのかんにん)=地方の役人

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2009年3月 9日 (月)

伊勢物語「第六十段」

この話も夫婦の間の話です。

“男は身分も高くなり、宮仕えが忙しく妻の事をあまりかまってやれなかた。
 すると妻はもっと誠実に自分のことを思ってくれる人と出て行ってしまった。

 ある日男が出張で地方のほうに行くと、
 そこの役人の妻がなんと以前の自分の妻だった。
 男はその女に酌をさせろと無理やりその役人に言った。
 役人は身分も違うのでしぶしぶ従がい、女に酌をさせた。

 男はつまみに出ていたたちばなの実を取りこの歌をよんだ。

 「五月まつ花たちばなの香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」

 女はそれで昔のことを思い出し出家して山にこもってしまった。”

この歌は古今集によみびと知らずとして出ている有名な歌です。
この歌がこんな話の中で使われていたとは、私もちょっと驚きました。

しかし、これではまたうちの細君が・・・

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2009年3月 6日 (金)

伊勢物語朗読:第二十三段後半

 さて、年ごろ 経るほどに、女、親なく、頼りなくなるままに、もろともにいふかひなくてあらむやはとて、河内の国、高安の郡に、行き通ふ所いできにけり。さりけれど、このもとの女、悪しと思へるけしきもなくて、いだしやりければ、男異心ありてかかるにやあらむと思ひうたがひて、前栽の中に隠れゐて、河内へいぬる顔にて見れば、この女いとよう化粧じてうちながめて、

 「風吹けば沖つ白波 たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ」

とよみけるを聞きて、限りなくかなしと思ひて河内へもいかずなりにけり。
 まれまれかの高安に来て見れば、初めこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づから飯匙とりて、笥子のうつはものに盛りけるを見て、心憂がりて、行かずなりにけり。さりければ、かの女、大和の方を見やりて、

 「君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも」

と言ひて見いだすに、からうじて大和人、「来む。」と言へり。よろこびて待つに、たびたび過ぎぬれば、

 「君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞ経る」

と言ひけれど、男住まずなりにけり。

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2009年3月 3日 (火)

伊勢物語:第二十三段後半

二十三段の続きです。

幼馴染み同士、めでたく一緒になったというところで終わりましたが、
その後、何年かたって女の親もなくなり貧乏になってくると、男は河内のほうに女を作ってしまいます。

ある日、男が河内の女の所へ行こうとした時に、あんまりすなおに出してくれたので、女に別の男でもいるのかと思い、庭先に隠れて見ていました。
すると女はお化粧をして歌をよんでいました。

「風吹けば沖つ白浪たつた山 夜半にや君がひとりこゆらむ」
“かぜが吹くと白波がたつように不安な竜田山を あの人は夜中にひとりで越えてゆくのですね”

それを聞いて男は女をいとおしく思い河内へ行くのをやめてしまいます。

それはそれでよかったのですが、かわいそうなのは河内の女で、男が後に行った時に、自分で茶碗にごはんを持ったのを見て、興ざめしてそれっきり行かなくなってしまった。
というこっちはこっちでなにかかわいそうな結末です。

この河内の女もけなげな歌をよみます。

「君があたり見つつを居らむ生駒山 雲なかくしそ雨は降るとも」
“あなたのいる生駒山のほうをずっと見ていましょう。 だから雨が降っても雲で隠さないでください”

「君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば 頼まぬものの恋ひつつぞふる」
“あなたが来ないまま夜ごと過ぎていきますが あてにはしていませんが恋しいとおもっております”

この話を読んでうちの細君は激怒しておりましたが、身勝手な男といわれてもしょうがないか・・・

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2009年3月 1日 (日)

伊勢物語朗読「第二十三段」

伊勢物語二十三段の前半です。原文を載せておきます。

[原文]

 昔、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとにいでて遊びけるを、おとなになりにければ、男も女も恥ぢかはしてありけれど、男は「この女をこそ得め。」と思ふ。 女は「この男を。」と思ひつつ、親のあはすれども聞かでなむありける。
 さて、この隣の男のもとより、かくなむ、

 「筒井つの井筒にかけし まろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」

女、返し、

 「くらべこし振り分け髪も肩すぎぬ君ならずしてたれかあぐべき」

など言ひ言ひて、つひに本意のごとくあひにけり。

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