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2009年3月15日 (日)

伊勢物語:俵万智訳

俵万智さんの「恋する伊勢物語」という本を読んでいたのですが、俵さんは子供のための伊勢物語の現代語訳をだされていることが書いてありました。

興味があったので図書館で借りてみたのですが、なかなかおもしろい。
小中学生だけに読ますのはもったいない。ということで前回の第二十四段の部分を引用してみました。

三年間離れていた夫婦の微妙な関係を俵万智さんなりの考え方で訳しています。
四つの和歌もみごとです。原文の和歌と比べてみてください。ピリオドがこの話のキーワードです。

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 むかし、ある男がかたいなかに往んでいた。いつまでもこんなところに住んでいてはうだつがあがらないので、都で宮仕えをすることにした。男には愛しあった妻がいたが、かならずりっぱになってもどってくるからと、いいおいてでていった。
 「きれいな着物を買ってきてやるからな。」
 「連絡がないときは、元気でやっているものと思ってくれ。」
 夫のそんなことばを信じて、女はじっとまっていた。が、一年がたち、二年がたち、ついに三年めになっても、なんの音沙汰もない。
 「都でなにかわるいことでもあったのかしら。それとも、もしや、新しい恋人でも・・・?」
 ひとりでもの思いにしずんでいると、どうしてもわるいことばかり想像してしまうのだった。女のはうにも、いいよってくる男がいないわけではない。そのなかでもとくに熱心な男がいて、あれこれとやさしいことばをかけてくる。
 さびしさと不安でいっぱいの心に、それらのことばは、しみじみとしみてくるのだった。
 それは夫が都へでて、ちょうど三年になるという日の夜。女はついに決心をして、新しい男を迎えいれることにした。その目の夜にきてばしいという返事をしたのも、やはり「三年」という節目を思ったからである。
 「わたしも、新しい人生を歩みだそう・・・。」
 緊張してまっていると、戸をたたく者がある。
 「彼だわ---。」そう思って入り口に近づいていくと、なんと、なつかしい夫の声がするではないか。
 「帰ってきたよ、ちょうど三年めのこの夜に。またせてしまってわるかったね。都で成功するまでは手紙も書かない、とがんばってきたのだが、やはり心の支えはきみだけだったよ。さあ、はやくこの戸をあけておくれ。」 
 女はぼうぜんとして、しばらくのあいだ立ちつくすのみだった。ガタガタとふたたび戸をゆする音に、はっとわれにかえる。あんなにまっていた男の帰りを、こんなかたちで迎えようとは、ゆめにも思わなかった。しかし、新しい男との今夜の約束のことを思うと、戸をあけることもためらわれる。
 かろうじて女は1首歌を詠み、戸の外へさしだした。

  三年を君にささげてまちわびて 今夜打たれるはずのピリオド

男は歌を読み、すぐに「ピリオド」の意味を理解した。

  梓弓ま弓つき弓これからは 我と思って彼を愛せよ

むかしの歌に「弓というなら、みなおなじ。梓弓でもま弓でもつき弓でも、みなけっこうだ。」というような歌がたしかあった。べつの男とでも、おまえはうまく愛しあっていけるだろう、そんな思いがこめられているのだろうか。女は男の返歌を読んで、いっそうせつなくなった。男が去っていく気配がしたので、こらえきれずにもう1首、歌を詠む。

  梓弓ひかれひかれていまもなお 心は君にひかれるばかり

 しかし男はまことにいさぎよく、去っていってしまった。わたしの愛していたのは、昨日までのあなただったのだ、とでもいうように。
 男としては、妻が三年ものあいだ、ひたすらまってくれていたことを確認できただけでも、幸せだと思いたかった。あとは彼女の、これからの幸せを祈るほかはない。第二の男と、ごたごたもめるのもみっともない。わるいのはわたしのほうだ。
 しかしさびしさと同時に、男はすこしほっとしている自分にも気がついていた。正直なところ、こわかったのである。自分の心のなかには、いつも妻がいた。が、その妻は、三年前の妻なのだ。妻のほうにしても、三年前のわたしの面影だけをたよりに生きてきた。その間のことを、彼女はなにも知らない。
 おたがいにいだきつづけてきた面影を、そっとこわさずにいるほうが、むしろいいのかもしれない。ふたりの愛は、それぞれの心のなかで完結する---これこそ美しいピリオドではないか。男はそんなふうにも思ったのだった。
 残された女のほうは、悲しみにうちひしがれていたが、とうとう決意して、夫のあとを追いはじめた。今夜の約束など、もうどうでもいいという気持ちだった。しかし、走っても走っても夫の姿はない。
ついに力つきて、清水のわきでているところに、ばったりと倒れふしてしまった。
 そこにあった岩に、女は歌を書きつけた。もちろん、筆などあろうはずはない。自分の指を傷つけて、その血で岩に書いたのである。

  まつという愛の形もなくなって わたしが選ぶこれがピリオド

そして女は、その場にみずからの命を断ったのだった。

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男も女も、これでピリオドを打ってしまったのです。
これが小中学生に理解できるのかは疑問ですが・・・
素晴らしい訳だと思います。

今回参考にした2冊の本を紹介しておきます。

 

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コメント

楽しいですねー。解りやすくて。

投稿: 豪腕プチリンコ | 2009年3月18日 (水) 20時15分

うちの細君は、この少年少女古典文学館を夢中になって読んでおります。

投稿: kazu | 2009年3月18日 (水) 20時56分

kazuさん、こんばんは。俵万智さんのはとても面白いですね。新しい男と再出発をしようとしたその当日に、昔の男が帰ってくる、というのは、大昔の映画ですが、「カサブランカ」と同じ設定ですよね。 

映画では、女は昔の男(夫)を選び、恋人をふるわけですね。けれど恋人が忘れらないまま、時が流れ、カサブランカで再会して、この伊勢物語の昔の夫の立場に立つのは、反対にハンフリーボガードの恋人のほうで、同じようにかっこよく去るわけです。 

これって恋愛モノの王道の設定の一つなのかしら? どう選択するかをハラハラさせ、せつなくなるし、揺れ動く心が表現できるし、一人のかっこいい男(必ず去る)
を際立たせるし・・・

伊勢物語楽しいですね。 kazuさんのところでいつもくすくすしながら、読んでいます。 

投稿: ☆サファイア | 2009年3月25日 (水) 19時14分

☆サファイアさん、コメントありがとうございます。

カサブランカってそんな話だったんですね。
見たような気もするのですが、もう一度見たくなりました。
千年前から定番はかわらないということですね。^^;

投稿: kazu | 2009年3月25日 (水) 21時31分

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