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2009年8月

2009年8月30日 (日)

能:悪尉(あくじょう)の面

金沢能楽美術館へ行ってきました。
目的は悪尉(あくじょう)の面(沫吹の面)を見るため。

この面は偶然漁師が海から引き揚げたもので、謡をうたい、口から沫を吹き、不思議なことが続いたので前田の殿様に献上した。その後前田家でも異変が次々起こったので尾山神社へ奉納した。
神社でもこの面を外へ出すと“一天俄かにかき曇る”というので、門外不出として一切公開していない。

そしてこの面が初めて外へ出された。どうも最近天候が妖しいのはこのせいか!

実際目にしてみるとさすがにすごい迫力です。
沫は吹いていませんでしたが、なにか起こりそうな予感が・・・

他にも尾山神社に伝わる能面十数面が展示してあります。こうしてみると能面というのはなかなか興味深いものです。

能楽美術館には他にも色々な展示があります。入館料も300円とお得ですので一度行ってみてはいかがですか。

金沢能楽美術館http://www.kanazawa-noh-museum.gr.jp/

写真は尾山神社のホームページより

Akujyou

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2009年8月28日 (金)

後鳥羽院:もの思ふ身は

百人一首の一番最後には二人の天皇の歌が置かれています。

九十九番は後鳥羽院。
鎌倉幕府の政治に反発し承久の乱をおこすが敗れ隠岐に流されました。
この歌はその前に作られたようですが、世の中の不条理に憂える気持ちが強く現れています。

「人もをし人もうらめしあぢきなく 世を思う故にもの思ふ身は」 後鳥羽院
“人をいとおしく、また恨めしく思い 世をつまらないと思っている私は・・・”

新古今集はこの後鳥羽天皇の勅旨により作られました。編集は定家です。
定家は百人一首をまとめるにあたり、非運の後鳥羽院と順徳院の歌を最後に持ってくることにより何を伝えようとしたのでしょうか。

それにしても悲しい歌ですね。

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2009年8月24日 (月)

崇徳院:瀬を早み

百人一首から

「瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ」 崇徳院

落語で有名なこの歌、若旦那が娘さんに一目惚れして恋煩いで寝込んでしまう話です。
歌の内容はことさら訳すまでもなく、水の流れの別れてもまた逢おうと思うという、ストレートな恋の歌ですが、

この崇徳院というお方は天皇の皇位争いから保元の乱を起こしますが、破れて讃岐に流されてしまいます。歴史のことにはここでは詳しく触れませんが、こうしてみるとこの歌は単なる恋の歌ではなさそうです。

参考まで

保元の乱(ウィキペディア) 落語:崇徳院(ウィキペディア)

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2009年8月23日 (日)

能:杜若(かきつばた)

金沢に住んでいながら、能はほとんど観たことがなかったのですが、今回チケットが偶然手に入ったのと演目が杜若ということで県立能楽堂まで出かけてきました。観客は満員でここは伝統技能が盛んなのだとあらためて感じました。

杜若(かきつばた)はこのブログの読者の方ならよくご存じの伊勢物語に出てくる杜若です。サイドバーのお気に入りにも今は杜若の和歌を出してあります。

能の内容は、開演前に金沢大学の先生の解説がありましたのでよくわかったのですが、伊勢物語そのものではありません。
ざっと説明しますと、旅の僧が三河の八橋で杜若を眺めていると、きれいな女性が現れてその女の家へ連れて行かれる。
そこで女は舞を見せるのですが、頭には在原業平の冠、着物は二条后の唐衣、そして妖しい舞の後に自分は杜若の精だという。そして業平は歌舞の菩薩となっって現れたとかいう内容です。

旅の僧が杜若を見ているうちに夢の世界に入っていってしまうような感じでしょうか。
意味はよくわからないのですが舞のゆっくりした動き、後ろで演奏される音楽。なんとなく幽玄な世界にひきこまれるような感じがして、なかなかいいものですね。

金沢には能楽美術館とかも出来ていますので行ってみようかと思っています。
写真は開演前に舞台を携帯で撮ったものです。
この舞台ではコーラスをやっていて一度歌ったことがありますが、やはり能があいますね。

杜若の記事

金沢能楽美術館

Nougakudo

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2009年8月19日 (水)

持統天皇

百人一首2番目の歌は天智天皇の娘、持統天皇です。
天智天皇は即位して間もなくなくなりその後、「壬申の乱」が起こります。
この時代「大化の改新」「壬申の乱」と大事件が次々と起こります。詳しくは日本史の教科書を見直してみてくださいね。
そのまっただ中に持統天皇はいたわけです。

ご存じだと思いますが持統天皇は女性です。この時代は女性の天皇が多く、推古天皇から始まって180年の間に15代の天皇が入れ替わりそのうち8代が女帝でした。
この時代を「女帝の世紀」とも呼ぶそうです。

いろんな説があるようですが、やはり女性のほうが民衆には人気があったのでしょうか、今も愛子様のお噂が・・・
百人一首も持統天皇の絵札はきれいなものが多いらしく、2番目なのに店に並べるときは1番上におくこともあったようです。

その歌は女性らしく優雅なものです。
「春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山」 持統天皇

下の句は「ころもほすちょうあめのかぐやま」と読みます。
夏になると香具山には白い衣が干されていたのでしょうね。

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2009年8月16日 (日)

秋の田の:天智天皇

百人一首には天皇の歌がかなりありますが、三条院のようにその時代の複雑な権力争いや政治的な抗争に巻き込まれている場合が多いですね。

皆さんご存知の第1番、天智天皇の歌です。

「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ 我が衣手は露にぬれつつ」
“秋の田にある小屋は 粗末な草で作ってあるので私の袖もぬれてしまいます”

農民の作業をねぎらった歌で、庶民的なすばらしいお方です。
しかしその背景にはかなり血なまぐさい権力争いがあります。

この時代、有名な「大化の改新」が起こっています。

646年、当時権力を握っていた曽我氏に反発した、中臣鎌足(なかおみのかまたらり)と中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)がクーデターを起こし、蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺し、新政権を打ちたて、詔をだしたのが「大化の改新」です。
そしてその暗殺の実行犯、中大兄皇子が後の天智天皇です。

農民の気持ちを察したやさしい歌を詠んだ天智天皇も、歴史に残る重大な事件の当事者だったんですね。

こうしてみると百人一首もおもしろいとおもいませんか?
しばらくこの歴史の世界を話題にしてみたいと思います。

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2009年8月15日 (土)

藤原道長

千年前、源氏物語が書かれた頃は藤原道長の全盛期でした。
自分の娘を次々と天皇家に嫁がせるという策略が成功しもう怖いものはありません。

そして邸で催された宴席で詠んだ歌が、

「この世をばわが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」 藤原道長
“この世はすべて私のもの この満月のように欠けることもないのだ”

なんという傲慢な恐ろしい歌でしょう。
そこに集った物たちはいやいやながらこの歌を一同で何度も歌ったということです。

前回紹介した三条院の歌と比べてみてください。同じ月を見ていても全く正反対です。

そして道長は紫式部に源氏物語の催促をします。たしかにこの力と財力がなければ、当時は和紙などもかなり高価なもので、普通はなかなか手に入らなかったようです。
しかし道長をもってしても紫式部には物語の内容まで指図は出来なかったと思います。

なんといってもタイトルが源氏物語です。藤氏(とうし)物語ではありません。
これは紫式部のこだわりだったのでしょうか。
これには諸説があるようですが、今となってはわかりません。

でも、道長と紫式部、どういう関係だったのか興味があるところですね。

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2009年8月13日 (木)

秋の気配

ここのところちょっと余裕がなく、しばらくぶりの投稿になります。
不安定な天候が続いており、こちら北陸も梅雨が明けたとはいえ雨が降り続いております。
夏が来るのかと思ったら、もう立秋も過ぎ秋の気配です。

雲の切れ間からぼんやり見える秋のような月を見ていて、百人一首のこの歌が浮かびました。

「心にもあらで憂き世にながらえば 恋しかるべき夜半のつきかな」 三条院
“この先心にもなく生きながらえたならば 今夜の月も恋しく思えるだろう”

なんとなく寂しげな歌ですが、この歌が詠まれた背景を考えてみるとこの気持ちにはすごく共感できます。

三条院は36才で天皇に即位しますが、この時、絶大な権力を持っていた藤原道長の策略によりわずか5年間で天皇の座を追われます。

また二度の内裏の火災、そして眼病を患い月もぼんやりとしか見えなくなっていたようです。
この歌には本当にこの月が見えなくなってしまうのではという憂いもあったのではと思います。

憎っくきは藤原道長ですが、道長が金と力を思いのままにして、紫式部のパトロン(愛人と言う人もいますが)となっていなければ源氏物語は存在しなかったのですから・・・複雑な気持ちです。

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