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2009年9月

2009年9月29日 (火)

僧正遍昭:乙女の姿しばしとどめむ

しばらくは百人一首からまだ紹介していない歌を取り上げます。

「天つ風雲のかよい路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ」 僧正遍昭(そうじょうへんじょう)
"空を吹く風よ、雲の通い路をふき飛ばせ そして空にかえる乙女達をもう少しとどめておいてくれ”

五節(ごせち)の舞いを舞う少女たちがあまりにもかわいいので、もう少し見ていたいという、百人一首の中でもトップを争うかというロマンチックな歌です。

でもこの僧正遍昭という人は名前からしてどう見ても僧侶ですよね。
仏に仕える身がこんなでいいの?
と思ってしまいますが、よく調べてみるとこの歌を詠んだ時は僧侶になる前だったそうです。

それでもこの人、小野小町のボーイフレンドだったとか、愛人が二人いたとか、34才で出家したそうですが、自由奔放なお坊さんだったようです。

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2009年9月27日 (日)

参議篁:流罪になった歌人たち

百人一首から参議篁(さんぎたかむら)の歌です。
参議というのは位で、本名は小野篁(おののたかむら)です。

「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人のつり舟」 参議篁
“大海原へ島から島へ漕ぎ渡り潔く船出して行ったと伝えておくれ 釣り舟の漁師たちよ”

篁は遣唐使に任ぜられましたが、藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)の船が破損したため篁の船と取り換えることになりました。それに腹を立てた篁は仮病を使って乗船せず、遣唐使を侮辱する詩まで書いたために隠岐へ流されることになります。
その時の歌がこれで、流罪になって船出する悲しい歌なのですが、おれは正しいんだとでもいいたいような、力強い意思も込められているような気がします。

こうして読んでいくと百人一首には流罪になった歌人が多いのに気付きます。

崇徳院→讃岐
後鳥羽院→隠岐
順徳院→佐渡
菅家(菅原道真)→筑紫
参議篁→隠岐

前にも取り上げた織田正吉氏の説ではすべて流罪になった後鳥羽院を暗示する意図が定家にあったということです。
定家が百人一首にこめた暗号がますます気になってきました。

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2009年9月24日 (木)

蝉丸:謎の琵琶法師

百人一首から蝉丸の歌です。
この人も謎めいていて、実在していたのかどうかもわからないようです。
「蝉丸」という謡曲では醍醐天皇の第四皇子でありながら盲目であったために捨てられるという、悲劇の人物になっています。

「これやこの行くも帰るもわかれては しるもしらぬも逢坂の関」

この歌は、逢坂の関の庵に住んでいた蝉丸が、行き交う人々を見て、
知っている人も知らない人も、出会っては分かれる、世の無常を詠んだものです。
リズミカルで愛嬌のある歌ですが、この蝉丸の生い立ちが謡曲のとおりだとすると悲しい歌に思えます。

盲目の琵琶法師が行き交う人をどうやって見たのかという疑問もあるようですが、

高貴な身分でありながら世捨て人のように山にこもり、琵琶の名手であったという、この蝉丸。
先に紹介した喜撰法師とともに実にミステリアスです。

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2009年9月21日 (月)

ZEN ART “デジタル掛け軸”

金沢市から車で30分くらい行ったところに「かほく市」というところがあります。
能登の入り口といったところですが哲学者の西田幾多郎の出生地で、西田幾多郎記念哲学館があります。

そこで開かれているZEN ART FESTIVALに行ってきました。

昼は曹洞宗の板橋興宗禅師の講演、夜は長谷川章氏のデジタル掛け軸を見てきました。

建物全体に照明をあて演出するデジタル掛け軸はなかなかすばらしいものでした。
その模様が刻々と変化し、間近で見るとほんとに感動します。

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西田幾多郎記念哲学館

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2009年9月17日 (木)

喜撰法師:隠されたメッセージ

百人一首から喜撰法師の歌です。

「わが庵は都のたつみ鹿ぞ住む 世をうぢ山とひとはいふなり」 喜撰法師
“わが庵は都の東南の宇治山、鹿も住んでいるところです。私のことを人は世間を憂いて山にこもっているといっているようですが、山の暮らしも結構いいものです。”

この喜撰法師はよく詳細が分からない人物ですが、なんとなく山の暮らしを楽しんでいるようなところがあるので、こんなふうに訳してみました。

この歌を定家が選んだわけには隠された理由があって、
隠岐に流された後鳥羽院から見て定家の住む都はたつみの方角にあり、幕府の目があって連絡が取れない定家の院へのメーッセージが隠されている。(織田正吉氏)
という説がありますが、こうして百人一首の背景を読んでみると後鳥羽院の追悼の意図があるのは真実のように思えてきます。

百人一首にこめられた暗号の説はいろいろとありますが、
林直道氏の、百人一首をキーワードで10×10のマス目に並べると、後鳥羽院の別荘があった水無瀬の地図が浮かび上がるという説も私には本当のように思えます。

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2009年9月13日 (日)

近代能楽集「班女」三島由紀夫

朗読小屋浅野川倶楽部の朗読公演に行ってきました。

今回は変わったところで三島由紀夫の作品でした。
「班女(はんじょ)」って?
私も知らなかったので事前学習をということで調べてみました。

三島由紀夫が能の作品を現代風の戯曲に書きなおしたのが「近代能楽集」でそのうちの一つが「班女」です。ずーっと男を待ち続ける女と、男の話なのですが、お互いに交換しあって持っている扇がキーとなって何年か後にめぐり合うという話なのですが、三島由紀夫が書きなおすとさすがに一味違った作品になり、初めて読んだのですが面白い作品です。

うちのnorikoさんも今回は力が入っていたようでなかなかいい朗読でした。

この「近代能楽集」には源氏物語の中の有名な「葵の上」の話もあって、六条御息所が六条康子、光源氏が若林光君なんていう現代の人物になっていてこれも面白い作品です。

これも朗読会で取り上げてほしいなんてアンケートには書いておいたのですが・・・

能もこういう視点から読んでみるとなかなかおもしろいものです。

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2009年9月11日 (金)

安部仲麻呂:遣唐使

百人一首から安部仲麻呂の歌です。

「天の原ふりさけみれば春日なる 三笠の山にいでし月かも」

雄大な歌です。
三笠の山は奈良の春日大社の後ろに見える山です。
奈良公園のあたりいいところですねー鹿もたくさんいて、
うちのカミさんが鹿せんべいを買ったとたん鹿くんがよってきてカバンや服をかじられ、それ以来、行こうとしないという苦い思い出も・・・・^^;

それはおいといて、
安部仲麻呂は16才で遣唐使として唐に渡り、玄宗皇帝に仕え、李白や王維とも親交があったというすごい人です。
35年たって帰国しようとしましたが船が難破しインドシナへ、結局生涯日本へ帰ることはできませんでした。
その航海中に詠んだのがこの歌で、船の上で月を見ながら歌を詠んでいる仲麻呂の姿が目に浮かぶようです。
1300年前の話ですが・・・

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2009年9月 7日 (月)

猿丸太夫のミステリー

百人一首を続けて取り上げたいと思います。

謎の多い作者、猿丸太夫(さるまるたいふ)、昔は「さるまるだゆう」と読んでいたような記憶がありますが。

「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞くときぞ秋は悲しき」

意味は訳すまでもなくおわかりだと思いますので省略しますが、まだ早いですが秋も深くなるとぴったりくるいい歌です。紅葉と鹿とくれば花札を連想する人も多いと思いますが・・・

猿丸太夫の人物についてはほとんど謎に包まれていて、実在したのかもよくわからないようです。この歌も古今集ではよみ人知らずになっているし、柿本人麿と同一人物ではないかという説もあります。

私が生まれ育った金沢市の笠舞というところには猿丸太夫を祭った猿丸神社があり、猿丸太夫が笠を投げたという伝説から笠舞という地名がついています。
そしてこの神社の杉の木には藁人形に五寸釘を打ち付けて人を呪う風習があったと伝えられています。
子供のころには夜中にこの神社に行くと女の人が藁人形に五寸釘を打ち付けているという噂があり皆こわがっていたものです。

井沢元彦の「猿丸幻視考」もずいぶん前に読みましたが、おもしろかったですねー。
たしか太夫と人麿が同一人物という設定だったと思います。

そんなこんなで、この歌は秋を詠んだいい歌なのですが、私にとってはミステリアスなのです。

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2009年9月 6日 (日)

百人一首と歴史

百人一首の天皇の歌のいくつかを書きましたが、わかりやすく整理してみました。

001 天智天皇 大化の改新
002 持統天皇 (天智天皇の子)

077 崇徳院 保元の乱

099 後鳥羽院 承久の乱
100 順徳院 (後鳥羽院の子)

天智天皇から順徳院まで約600年の波乱にとんだ歴史が百人一首の根底には流れています。
このうち崇徳院、後鳥羽院、順徳院は流罪になっています
最初と最後にこの親子の歌を置いたというのは定家にどんな思いがあったのでしょうか。
平和な世を望んだのか、追悼の意味がこめられているのか・・・

優雅に見える和歌の世界ですが、この時代もすさまじい政権争いの時代だったのですね。
こういうことを踏まえながらまた、伊勢物語や源氏物語、百人一首など読んでいきたいと思います。

現代でも政権争いは大変です。
ここ石川2区でも、元首相と小沢ガールズの熾烈な戦いが・・・選挙が終わってもまだまだ続きそうです。

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2009年9月 4日 (金)

朗読公演のお知らせ

金沢市の「朗読小屋 浅野川倶楽部」の秋公演のお知らせです。

9月1日~13日まで、もう始まっていますが、
うちのnorikoさんの出番は12日の夜です。
今回は三島由紀夫の作品を朗読するそうです。

入場無料ですのでぜひおいでください。

詳しくは浅野川倶楽部のホームページまで
http://asanogawaclub.web.fc2.com/

Asanogawa

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2009年9月 3日 (木)

順徳院:ももしきや

百人一首の最後の歌です。
順徳院は先に紹介した九十九番の後鳥羽院の第三皇子です。

「ももしきや古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり」
“宮中の古い軒端に茂るしのぶ草を見ていると栄華な昔がしのばれます”

この歌は「ももしきや~」の出だしで、誰でも知っているくらい有名です。私も「ももしき」は宮中のことだと教わっていても、小さい時からよく覚えていて、昔を懐かしんでいる歌なのかなーとは思っていました。

しかし、この順徳院の障害は波乱に満ちていて父である後鳥羽院とともに承久の変を起こし、父は隠岐に、子は佐渡へとそれぞれ流されます。
この歌は佐渡で詠まれた歌で、順徳院は佐渡で生涯を閉じます。

この父子の歌で百人一首は閉じられます。
悲劇の天皇を偲ぶ定家の思いが、ここにこめられているような気がします。

こうして読んでみると小倉百人一首は悲しい歴史が奥底に流れている、感慨深い和歌集ですね。

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