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2009年9月 6日 (日)

百人一首と歴史

百人一首の天皇の歌のいくつかを書きましたが、わかりやすく整理してみました。

001 天智天皇 大化の改新
002 持統天皇 (天智天皇の子)

077 崇徳院 保元の乱

099 後鳥羽院 承久の乱
100 順徳院 (後鳥羽院の子)

天智天皇から順徳院まで約600年の波乱にとんだ歴史が百人一首の根底には流れています。
このうち崇徳院、後鳥羽院、順徳院は流罪になっています
最初と最後にこの親子の歌を置いたというのは定家にどんな思いがあったのでしょうか。
平和な世を望んだのか、追悼の意味がこめられているのか・・・

優雅に見える和歌の世界ですが、この時代もすさまじい政権争いの時代だったのですね。
こういうことを踏まえながらまた、伊勢物語や源氏物語、百人一首など読んでいきたいと思います。

現代でも政権争いは大変です。
ここ石川2区でも、元首相と小沢ガールズの熾烈な戦いが・・・選挙が終わってもまだまだ続きそうです。

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コメント

お久しぶりです。

崇徳院、後鳥羽院、順徳院のお歌をずっと読ませていただきました。
三人の院の運命を考えると、おっしゃるように、定家さんがなぜ百人一首の最初と最後に両院のお歌を置いたか、胸中をのぞきみるような感がしますね。
このシリーズ(?)とても興味深く拝見しました。
先日、京都へ行ったおり、崇徳院をお祀りする神社の前を通りました。明治天皇が即位される前に移されたようですが・・・・とても歌ひとつにしても、奥が深いですね。 ありがとうございます。

投稿: ☆サファイア | 2009年9月 6日 (日) 20時32分

☆サファイヤさん、ありがとうございます。
最近、歴史の本を何冊か読むうちに、百人一首とのつながりに興味が湧き、記事を書いております。

無念のうちに流刑地で死んでいった天皇の霊を鎮めるための神社も各地にあるようです。
そんなところも調べてみたらおもしろいかなと思っております。

投稿: kazu | 2009年9月 6日 (日) 21時07分

はじめまして!
この度はblogramで栞っていただいて有難うございます。
百人一首には「鎮魂」の意味も込められていると同時に、タタリを封じようとしたのだと考えられます。例えば、崇徳上皇の「呪い」は朝廷から武家への「政権交代」にまで発展してしまいましたし、後鳥羽上皇も、一度は「顕徳院」と号されながらもタタリが続いたために「後鳥羽」に改められています。
ちなみに、明治天皇はご即位の直前に讃岐にあった崇徳上皇陵までお出でになってるんですよ。武家から朝廷へ再び「政権交代」したので、二度と交代されないように祈られたのかのしれませんね。

投稿: 黒田裕樹 | 2009年9月 6日 (日) 21時24分

黒田さん、ありがとうございます。
やはり今でもこの時代の天皇方の影響はあるということですね。
また教えてください。

投稿: kazu | 2009年9月 6日 (日) 21時45分

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