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2010年7月

2010年7月29日 (木)

浜木綿

猛暑が続きます。昨日は34度、今日は32度、いささかバテ気味です。

でも夏といえば海、万葉集のこの歌が浮かびます。

「み熊野の浦の浜木綿(はまゆう)百重(ももえ)なす 心は思へど直(ただ)に逢はぬかも」 柿本人麻呂

“はまゆうの花が幾重にも重なっているように私の心もあなたを思っているのですが、直接逢うことはできないのです。”

前にも一度書きましたが、この歌が気に入っていまして、先日奈良の「犬養万葉記念館」へ行ったとき一筆箋を買ってきました。
字が下手なのであまり使わないのですが、本のしおりとして使ったりしています。

Hamayuu_2 

ブログの今月の和歌もこの歌にしてみました。背景は浜木綿は咲いていませんが石川県の千里浜です。

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2010年7月25日 (日)

「本当は怖ろしい万葉集」

藤原広嗣の乱のことを調べようと久しぶりにこんな本を読んでみました。
「本当は怖ろしい万葉集(完結編)、大伴家持の暗号」
○○○の暗号とついているとなんとなく読みたくなって買いあさっています。
ほとんど“つん読”ですが^^;

万葉集に藤原広嗣の歌が一つだけのっています。
広嗣が桜の花を娘子(おとめ)に贈った歌です。

「この花の一枝(ひとよ)のうちに百種(ももくさ)の 言そ隠れるおぼろかにすな」
“この花の一枝には多くの言葉が隠されているのです。おろそかにしてはなりません”

娘子の返歌
「この花の一枝のうちは百種の 言持ちかねて折らえけらずや」
“この花の一枝にこめられている言葉に耐えかねて 枝が折れてしまいそうです”

いい歌だと思いますが、どういう状況で贈ったのか、女の子に送った恋の歌にしてはちょっと不自然のような気がします。

さて表題の本にはこう書いてあります。

「広嗣の歌とあるのは、実は聖武天皇が広嗣にクーデターの指令を秘密裏に出したもので、返歌は広嗣がその指令の重さにとまどって書いた歌である」

ということは聖武天皇は吉備真備と玄昉を打てと広嗣に命じ、自分は伊勢へ逃れた?
クーデターは失敗に終わりますが、この後遷都を繰り返す聖武天皇の心の内はかなり苦しいものだったのかもしれません。

私にはこの説はあっているように思えますが・・・

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2010年7月23日 (金)

聖武天皇と大友家持

前の記事で紹介した聖武天皇の歌と同じときに詠まれた大伴家持の歌が、万葉集の隣りにのっています。

「河口(かわぐち)の野辺に廬(いほ)りて夜の経(ふ)れば 妹が手本(たもと)し思ほゆるかも」 大伴家持
“河口の野辺に泊まって夜が更けると、都に残してきた妻の手許が思い出されます。”

聖武天皇の行幸にあの家持が随行していました。そしてやはり残してきた妻のことを思っています。

しかし、万葉集のこの二つの歌の注釈にはこのようなことが書かれています。
「天平十二年十月、藤原広嗣が謀反して群を発したので、天皇が伊勢にいらっしゃった時作った歌。」
だということです。
ということはこの背景にはクーデターが起こったというかなり危険な政治背景があり、歌の裏には複雑な事情がありそうです。

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2010年7月20日 (火)

天平の甍

天平時代の記事を書いているとどうしても読みたくなったので、井上靖の「天平の甍」を読んだ。これはすばらしい小説です。これを読んでから唐招提寺へ行けばよかったと、いまさらながら後悔しております。

鑑真和上がいかに苦労して唐から渡ってきたのか、感慨深いものがあります。

阿倍仲麻呂の

「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」

の歌も出てきます。

もう一度唐招提寺へ行って、本物の「天平の甍」を見てこなくては!

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2010年7月19日 (月)

聖武天皇

「妹(いも)に恋ひ吾(あが)の松原みわたせば潮干(しほひ)の潟に鶴(たづ)鳴きわたる」 万葉集

光明皇后から愛されていた聖武天皇ですが、この歌のお相手も当然光明皇后でしょう。
天皇が伊勢へ行幸したときに吾の松原(四日市あたり?)で都に残してきた妻を思って作った歌です。

しかし、この天平の時代は政権争いも激しく、疫病も流行ったり、あまりいい時代ではなかったようで、聖武天皇もつらい思いをしていたと思います。
そして仏教を深く信じ、奈良の大仏建立や唐から鑑真を招くといった大きな功績を残します。

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2010年7月15日 (木)

光明皇后

今年は平城遷都1300年ということで、この時代がテレビ・ラジオなどで盛んに取り上げられています。昨日もNHKで光明皇后の番組をやっていました。

聖武天皇のお后で、美人で頭もよく、病人を救ったりとすばらしい人だったようです。聖武天皇を大変愛していたようで、天皇がなくなった後こんな歌を詠んでいます。

「我が背子(せこ)と二人見ませばいくばくか この降る雪の嬉しからまし」 光明皇后(万葉集)

わが夫と二人でこの雪を見ることができたらさぞ美しかったでしょうに。
純粋な歌で、いかに夫を愛していたかがよく伝わってきます。

正倉院には聖武天皇と光明皇后の木製のベッドというのがあって、それを覆っていた布もあり、その寸法を測ったらベッド二つ分一致しているそうです。
ということはいつもベッドを二つぴったり並べて寝ていたという・・・なんと仲の良い夫婦でしょう。

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2010年7月14日 (水)

平和への祈り

7月21日に金沢で「平和への祈り」と題したコンサートがあります。

オーケストラはコソボ・フィルハーモニー交響楽団とオーケストラ・アンサンブル金沢、
指揮は「柳澤寿男」氏。
テレビで放映もしていたのでご存知の方も多いと思いますが、コソボという今も戦争が続いている国で平和を願って指揮をされています。
http://www.bs-j.co.jp/kakehashi/

曲目はモーツァルトのレクイエム。
私も合唱団の一員として歌います。
平和な日本にいてはなかなかわからないのですが、この機会に世界平和についてちょっと考えてみようかと思います。
https://yyk1.ka-ruku.com/ishikawa-t/index.jsp?type=N&id=B100721-00&scr=detail

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