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2010年7月23日 (金)

聖武天皇と大友家持

前の記事で紹介した聖武天皇の歌と同じときに詠まれた大伴家持の歌が、万葉集の隣りにのっています。

「河口(かわぐち)の野辺に廬(いほ)りて夜の経(ふ)れば 妹が手本(たもと)し思ほゆるかも」 大伴家持
“河口の野辺に泊まって夜が更けると、都に残してきた妻の手許が思い出されます。”

聖武天皇の行幸にあの家持が随行していました。そしてやはり残してきた妻のことを思っています。

しかし、万葉集のこの二つの歌の注釈にはこのようなことが書かれています。
「天平十二年十月、藤原広嗣が謀反して群を発したので、天皇が伊勢にいらっしゃった時作った歌。」
だということです。
ということはこの背景にはクーデターが起こったというかなり危険な政治背景があり、歌の裏には複雑な事情がありそうです。

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コメント

聖武天皇の彷徨五年は余りにも有名ですね。
まあ、国が大変なときに何を考えているのか・・・
なんて、今だったらすぐにでも声が上がりそうですが・・・

今・・・と言いましたが、当時も結構そんな考えはあったようです。

家持だって、こんな歌を歌っているのは単なる妻恋しさだけではないなあと思うのですが・・・

投稿: 三友亭主人 | 2010年7月23日 (金) 22時52分

三友亭主人さん、コメントありがとうございます。
この天平時代のことを調べていると、どんどんおもしろいことがわかってきますね。
私なりにもっと調べてみようと思っているのですが、何かありましたらツッコミお願いします。

投稿: kazu | 2010年7月24日 (土) 07時30分

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