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2016年1月

2016年1月27日 (水)

忍ぶ恋 式子内親王

忍ぶ恋つながりで、式子内親王の歌です。

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする」 式子内親王(しょくしないしんのう)

“玉の緒”は魂と体をつないでいる紐みたいなもので、これが切れるということは死ぬことを意味します。
“死ぬのなら死んでもいい、生きていれば耐え忍ぶ心も弱まるだろうから”

なんともすさまじい歌ですね。
やはり女は怖い。前の二人の男とは迫力が違います。

式子内親王は斎宮という身分でもあり結婚することも許されず、藤原定家との噂もあり、悲しい人生を送ったようです。

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2016年1月19日 (火)

忍ぶ恋

忍ぶつながりで、平兼盛の歌の前に置かれているのが参議等(さんぎひとし)のこの歌です。(参議等=源等)

浅茅生(あさぢふの)の小野の篠原しのぶれど あまりてなどか人の恋しき」 参議等

“あなたのことをずっと思い焦がれているのですが、もう耐え忍ぶこともできないくらいになってきました”

ちょっとストーカー的ともとれますが、今のところはまだ思っているだけのようです。
忍ぶといっても忍者のように忍んで行って付きまとっているのではありません。

この歌の前半の部分ですが、

「浅茅生の小野の篠原しのぶとも 人知るらめやいふ人なしに」古今集、よみ人知らず

を本歌としています。
これではほとんどパクリと今では言われそうですが、こういう本歌取りという手法なので、この時代では白紙撤回しろとかいう突っ込みはなかったようです。

しかし半分くらい替えただけで、前の歌とはがらりと変わってまた素晴らしい趣が出てくるところは作者の力量ですね。

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2016年1月15日 (金)

歌合せ

「恋すてふ」と「忍れど」の歌が続いたので、歌合せについて少し書いておきます。
この時の歌合せの様子はかなり詳しく伝わっています。
天徳4年(960年)3月30日、村上天皇の御前での歌合せです。

 平兼盛 「忍れど色に出でにけりわが恋は 物や思ふと人のとふまで」
 壬生忠見 「恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか」

この二首で競うのですが、帝の御前ですからすごいプレッシャーだったでしょう。
どちらの歌も甲乙つけがたく選者も困っていたところ、村上天皇が「忍れど」と口ずさんだ。ということで源兼盛のほうを勝ちとした。
というなんとも怪しい判定です。帝も実は迷っていたが、先に口に出たのがこっちだった。のかも・・・
判定を後から聞いた二人はこの事情を知っていたかどうかは知りませんが、負けた忠見のほうは、この後食事ものどを通らなくなり、死んでしまいます。歌合せも命がけですね。
Gosyo
歌合せが行われた京都御所、清涼殿

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2016年1月11日 (月)

忍ぶれど

前回の記事の壬生忠見と歌合わせの会で争った平兼盛の歌です。

「忍れど色に出でにけりわが恋は 物や思ふと人のとふまで」
“分からぬようにしていた恋なのに 人に聞かれるほど顔に出てしまったよ”

百人一首ではこの二つの歌が続けて取り上げられています。
兼盛のほうは身分も高く余裕はあったと思われますが、忠見は身分も低く命がけだったのですね。
私はどうしても忠見の「恋すてふ」のほうを応援してしまいますが・・・

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2016年1月10日 (日)

恋すてふ

最近、夢枕獏の「陰陽師」を読んでいたら、平安時代の歌人がいろいろと出てきて面白く、

ひさしぶりに記事を書いています。

「恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか」 壬生忠見(みぶのただみ)

百人一首にも入っている歌です。

“恋してるという噂がはやくもったってしまったよ、こっそりと思い始めたばかりなのに・・・”

壬生忠見は平兼盛との歌合せの会で敗れ、そのショックで死んでしまうのですが、「陰陽師」の小説中ではその後「恋すてふ・・・」と言いながら宮中に怨霊となって出てきます。

なにかちょっとかわいそうですが、「陰陽師」読みだしたらはまってしまいます^^;

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