ほととぎす or かっこう
「ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる」後徳大寺左大臣
百人一首81番、
ほととぎすの声の聞こえるほうをみてみると 明け方の月が見えてる。ただそれだけのことですが、
時代背景は平清盛の全盛時代で都はかなり荒れ果てていたのかもしれません。
作者がほととぎすの声が聞こえて振り返ってみた方向にはどんな風景があったのでしょうか。
荒れ果ててなにもない都に、有明の月だけがきれいに見えていたと想像すると、かなり悲惨なかなしい歌のような気がします。
荒れ果ててなにもない都に、有明の月だけがきれいに見えていたと想像すると、かなり悲惨なかなしい歌のような気がします。
それで、ほととぎすは幹事で郭公と書きます。
最近、毎朝カッコウの声で目が覚めるのですが、郭公は今はカッコウと読むほうが自然です。パソコンの漢字変換でもかっこうで出てきます。
でも和歌の世界では郭公はホトトギスです。
いつから変わってきたのかはよくわかりません。
とにかく鳴き声からしてもカッコウよりホトトギスのほうがこの歌にはあっているような気がします。
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