源氏物語

2011年12月 8日 (木)

源氏物語

昨夜のNHKテレビで、源氏物語の番組をやっていました。近々、新しい映画も上映されるようで源氏物語はブームになっているようです。
番組では光源氏の邸宅「六条院」のモデルになったという京都の渉成園で、撮影が行われていました。このブログのバナーも渉成園の写真を使っています。

最後に日本文学の研究で有名なドナルド・キーンさんが出ていました。キーンさんは源氏物語を心から愛していて今でも何度読んでも新しい感動があると言っていました。源氏物語には戦争が出てこないとも。そういえばこの長い物語の中に戦争のシーンはありませんね。
ドナルド・キーンさんは今年の大震災をきっかけに、日本から脱出する外国人が多いのを嘆き、日本国籍を取り日本に永住することを決意しました。素晴らしい人です。

世界に誇る源氏物語。日本人に生まれたからには読み通してみたいですね、原文で。私はまだまだですが・・・

紫式部の和歌を紹介します。

「おほかたの秋のあはれを思ひやれ 月に心はあくがれぬとも」 千載集

紫式部は嫉妬深い性格だったのかな、“だいたい秋というものは哀しい季節なのです。あなたのようにきれいな月ばっかり見ていてもね!”
『秋』は『飽きる』にもかけています。浮気をしてきれいな女の子ばかり見ている彼氏に嫉妬している式部です。

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2011年7月15日 (金)

暑さ対策

源氏物語の時代はエアコンなしでどう過ごしていたんでしょう。
今の金沢の気温は31℃、京都はというと34℃、宮中も暑かったでしょうねー。

源氏物語の空蝉(うつせみ)の帖には、空蝉とその継娘の軒端の萩(のきばのはぎ)が碁を打っている場面があります。あまりに暑いのですだれをあけっぱなしにして、ちょっと品がない軒端の萩のほうは着物がはだけて胸まで見えているという、なんともあけっぱなしの状態です。

それをこっそり覗き見していたのが光源氏で空蝉目当てに夜に忍び込みますが、空蝉には逃げられ、しょうがないので軒端の萩のほうを・・・

今だったら覗いただけで通報されそうですが、あまりに暑いからといって度を越したあけっぴろげはやめましょう。

「空蝉の羽におく露の木がくれて しのびしのびにぬるる袖かな」 空蝉

空蝉に衣だけ残して逃げられた源氏に空蝉が送った歌です。

この夏はできるだけ窓は開けて扇風機でと思っているのですが、女性の方は気を付けてくださいね^^;

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2011年6月24日 (金)

夏の雨

梅雨の真っただ中、気温も30度を超え、節電もしないと、ということで先の思いやられる今年の夏ですが、被災地の方もっときびしい環境だろうと思うと、あまいことは言ってられませんね。

こんなうっとおしい季節でも昔はエアコンもないのに、結構優雅に過ごしていたんですね。
源氏物語から夏の雨の場面です。

光源氏は例の頭中将と、雨もふるので屋敷の中で一杯やりながら、音楽を聴いたり、昔の本を読んだり、といってもちょっと音楽を聴くとか言っても都中の奏者が集まってきたり、本を読むとか言っても一流の学者が集まってくるのですから、われわれが本を読んだりCDを聞いていたりするのとは訳が違うのですが・・・

 

「時ならで今朝咲く花は夏の雨に しをれにけらしにほうほどなく」 光源氏

“季節はずれに今朝咲いた花は夏の雨に打たれて 美しく匂う間もなく私のようにしおれてしまいました”

と、自分ももう年を取ってしまったなどと言います。が、光源氏はまだ25才、だれもがこれ以上美しい人はいないと思っているのですから、イヤミに聞こえます。

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2010年10月20日 (水)

紫の上との別れ(須磨)

少しさかのぼって須磨へ旅立つ当日、紫の上と別れの言葉を交わす場面です。

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「月出でにけりな。なほすこし出でて、見だに送りたまへかし。いかに聞こゆべきこと多くつもりにけりとおぼえむとすらむ。一日、二日たまさかに隔たる折だに、あやしういぶせき心地するものを」

 とて、御簾巻き上げて、端にいざなひきこえたまへば、女君、泣き沈みたまへるを、ためらひて、ゐざり出でたまへる、月影に、いみじうをかしげにてゐたまへり。「わが身かくてはかなき世を別れなば、いかなるさまにさすらへたまはむ」と、うしろめたく悲しけれど、思し入りたるに、いとどしかるべければ、

 「生ける世の別れを知らで契りつつ 命を人に限りけるかな」
 「はかなし」

 など、あさはかに聞こえなしたまへば、

 「惜しからぬ命に代へて目の前の 別れをしばしとどめてしがな」
 「げに、さぞ思さるらむ」
 と、いと見捨てがたけれど、明け果てなば、はしたなかるべきにより、急ぎ出でたまひぬ。
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源氏のセリフからです。
「月も出てきた。こちらへ来て見送っておくれ。1、2日いないだけでふさいでいるのだから」
紫の上は御簾をあげて出てきます。
「私が須磨で死んでしまって帰ってこなかったら、紫の上はどうなるのだろうか」

源氏の和歌
「生き別れなんてものがあるとは知らず、死ぬまで一緒にいられると思っていましたが」
紫上の和歌
「惜しくない命に代えても 別れの時を引き延ばしたいものです」

と、和歌を交わしますが、夜が明ける前にと、急いで旅立ちます。

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2010年10月10日 (日)

千鳥(源氏物語)

千鳥の和歌を紹介しましたが、この歌のもとになっているのは源氏物語のこの部分です。

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 月いと明うさし入りて、はかなき旅の御座所、奥まで隈なし。床の上に夜深き空も見ゆ。入り方の月影、すごく見ゆるに、

 「ただ是れ西に行くなり」と、ひとりごちたまて、

 「いづ方の雲路に我も迷ひなむ 月の見るらむことも恥づかし」

 とひとりごちたまひて、例のまどろまれぬ暁の空に、千鳥いとあはれに鳴く。

 「友千鳥諸声に鳴く暁は ひとり寝覚の床も頼もし」

 また起きたる人もなければ、返す返すひとりごちて臥したまへり。
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しみじみとしたいいところです。

屋敷の中まで月の光が差し込んで隅まで照らしています。

和歌の意味は

“月はまっすぐ西へ向かうというのに、私はどこへ向かおうとしているのだろうか、月に見られるのも恥ずかしいことだ”

“明け方になく千鳥の声でさえも、一人で寝ている身にはたのもしい”

都では好き放題やっていた源氏も、さびしすぎます。

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2010年9月22日 (水)

須磨の秋風(源氏物語)

秋風が吹いてすずしくなってくるとなんとなくものがなしくなってきます。
この秋は源氏物語でも読もうかとふと思いつきました。秋風が吹きさびしい場面から。

光源氏は都を追われ少ない供の者と須磨に流されています。
前に紹介した「心づくしの秋風」で始まります。家はあばら家、共の者も何人かいるだけで、波の音がいやに近くに聞こえてきて、心細い。
源氏はなかなか寝付けず、琴を弾いてみますが、あまりにさびしく聞こえるのですぐにやめてしまい歌を詠みます。その歌があまりにも悲しくて供の者も寝ることができず、すすり泣きしています。

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 須磨には、いとど心づくしの秋風に、海はすこし遠けれど、行平中納言の、「関吹き越ゆる」と言ひけむ浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。
 御前にいと人少なにて、うち休みわたれるに、一人目を覚まして、枕をそばだてて四方の嵐を聞きたまふに、波ただここもとに立ちくる心地して、涙落つともおぼえぬに、枕浮くばかりになりにけり。
 琴をすこしかき鳴らしたまへるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさしたまひて、

 「恋ひわびて泣く音にまがふ浦波は 思ふ方より風や吹くらむ」

 と歌ひたまへるに、人びとおどろきて、めでたうおぼゆるに、忍ばれで、あいなう起きゐつつ、鼻を忍びやかにかみわたす。
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「恋ひわびて泣く音にまがふ浦波は 思ふ方より風や吹くらむ」
“恋しくて泣いているような浦風は、都で思っている人の方から吹くから悲しいのだろうか”

ここに出てくる行平の歌、
「旅人は袂すずしくなりにけり 関吹き越ゆる須磨の浦風」
“須磨の関を海風が越えてゆく季節になった、旅人の袂も寒そうだ”
須磨の関は百人一首にも出てきます。

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2009年11月13日 (金)

源氏物語と比叡山

今回、比叡山を1日かけてゆっくり回り、
そのうえで源氏物語の最後のほうを読み返してみると、比叡山がとても重要な意味をもっているとあらためて感じられました。

浮舟が生きているという噂を聞いて薫は比叡山の根本中堂に参詣の後、横川のほうへ僧正を訪ねます。
私は車で回りましたが、薫は馬・牛車・徒歩?、どのようにして行ったのかはわかりませんが、かなり険しい道のりです。

そして薫が最後に詠んだ歌、

「法の師と尋ぬる道をしるべにて 思はぬ山に踏み惑ふかな」

この歌が結局、源氏物語のテーマだったのかとも思えます。

根本中堂と横川中堂をギャラリーに追加しました。
http://wakaotazunete.cocolog-nifty.com/photos/genji/

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2009年7月31日 (金)

源氏物語:匂宮

源氏物語の中では女性の立場から見ると薫よりも匂宮のほうがどうもファンが多いようですので匂宮の歌を紹介します。前回紹介した薫の歌の次に出てきます。

「いづくにか身をば捨てむと白雲の かからぬ山をなくなくぞ行く」 匂宮
“いったいどこに我が身を捨てたらいいのか、雲のかかった山をなくなく私は帰ります”

薫は浮舟と匂宮の関係を知って、浮舟のいる宇治の山荘の警護を厳重にします。それと知らずに浮舟に逢いに来た匂宮は浮舟に逢うことが出来ず泣く泣く都へ帰ります。
これを聞いた浮舟はますますこの三角関係に身の置き場がなくなり死の決意をします。

源氏物語の中にはかなしい場面が数多く出てきますが、私はこのあたりから浮舟が入水するまでの部分が一番悲しいような気がします。

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2009年7月28日 (火)

末の松山:浮舟

絶対に波が越えることはないという末の松山。
源氏物語にはその山を越えてしまったという歌があります。

浮舟の帖で、薫が浮舟に送った歌です。
薫は浮舟が自分を裏切って匂宮と密通していたことを知ってしまいます。

「波こゆるころとも知らず末の松 まつらむとのみ思ひけるかな」
“まさかあなたが心変わりしたとは思ってもみませんでした。私のことだけを待っているのかと思っていました”

歌にするとやんわりと非難しているようですが、この後に一言「笑い物にするな」と書いてあります。
これで浮舟は死を覚悟します。

かわいそうな浮舟ですが、薫もかわいそう。でもちょっと言い過ぎか・・・

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2009年1月25日 (日)

雪(源氏物語、浮舟)

今日はひどく雪が降っています。
『袖打ち払う影もなし』という定家の歌のようです。

定家は源氏物語から連想してこの歌を詠んだようですが、宇治十帖で匂宮が浮舟を訪ねる場面がぴったりくるような気がします。

浮船は雪の中、宇治まではるばる宇治までやってきた匂宮を愛してしまい、
薫との三角関係に悩みます。

「峰の雪みぎはの氷踏み分けて 君にぞまどふ道はまどはず」 匂宮
“峰の雪や水際の氷を踏み分けても道に迷うことはないけれど、君には心が迷ってしまう。”

雪の中の山荘で二人は朝まで愛し合います。
私なんかは寒くなかったのか、なんて野暮な心配をしてしまいますが源氏物語にはそんなことは書いてありません。

サイドバーの和歌は定家のものに替えました。

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