伊勢物語

2009年10月17日 (土)

伊勢物語「第百一段」:その場の空気が・・・

前に紹介した中納言行平(在原行平)も、伊勢物語に登場します。

第百一段は行平さんの家でのお話です。

行平さんの家においしい酒があるということで、藤原良近(まさちか)というお役人を招待して宴会を開くことになりました。なんといってもこの時代に絶大なる力をもっている藤原氏です。
集まった人たちはなんとかこのお役人にきにいられて出世でもできないかと必死です。

花瓶には一メートル以上もあるるようなりっぱな藤の花が差してあります。なんといっても藤原氏ですから。

そこに現れたのが行平さんの弟、ご存じ在原業平。役人はこの和歌の名人に歌を読めといいます。
日頃から藤原氏にはいい感情を持っていない業平さんは、かたくなにこばみます。
「私なんか歌の読み方もしりませんので・・・」

それでも無理やり読めというので

「咲く花の下にかくるる人を多み ありしにまさる藤のかげかも」

という歌を読みました。

“咲く花のしたにお世話になっている人が多くいるので 今よりもまして藤の花かげがますます大きく見えます。”
という意味ですが、“ありし”は在原にかけているともてれるし、なにかイヤミったらしく聞こえます。

そこにいた人が、どうしてそう詠んだのかと聞くと、「藤原氏がますます栄えるようにと読んだのですよ」と業平さんは、しらじらしく答えましたが、
どうも気まずい空気が流れたようで一同シーンとなってしまい、これ以上歌の話題にはだれも触れませんでした。

その後の宴会はどうなったのかは書いてありませんが、藤原氏の役人もしてやられたという感じで業平さんはさすがに一枚上手だったようです。

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2009年10月12日 (月)

伊勢物語「第百七段」:代筆

ここのところ百人一首を紹介しておりますが、中納言行平、藤原敏行などは伊勢物語にも登場しております。

ということで伊勢物語の第107段。

藤原敏行さんのお話です。
「昔、あてなる男ありけり」で始まりますが、その男とは例の在原業平さん。
その家にいた若い娘を藤原敏行さんがすきになり歌を詠んで送りました。

でもその女は若くて歌も上手に書けないのでそこの主人が代わりに書いてやりました。ラブレターの代筆みたいなものですが、代筆したのがなにせあの業平さんですから、みごとな歌になります。

「つれづれのながめにまさる涙河 袖のみひぢて逢うよしもなし」
“あなたのことを思っていると長雨のときの川よりも多いほど、私の涙で袖が濡れて、あなたに逢うこともできません”

「あさみこそ袖はひづらめ涙河 身さへながると聞かばたのまむ」
“涙の川も浅いので袖がぬれるくらいなのでしょう。体ごと流されるくらいならあなたの思いを聞いてもいいですよ”

と、みごとな歌を返します。業平さんの代筆ですから当然です。

男は代筆とはきづかず、めでたく一夜を共にします。

その後の雨の日に男が女のところへいこうかどうか迷っていると、またも業平さんの代筆で、

「かずかずに思ひ思わずとひがたみ 身をしる雨はふるぞまされる」
“私を思ってくださっているのか聞くことはできませんが、この雨だけが私の気持ちを知っています”

と、またまたみごとな歌を送ったので、敏行さんは蓑も笠もつけず大急ぎでびしょ濡れになってやってきました。こんな歌を送られたら彼女の元へ走らずにはいられませんよね。

敏行さんは代筆とも知らず、かわいそうな気もしますが、めでたく結ばれたので、まぁいっか。
サイドバーのおすすめの和歌は敏行さんの歌に替えました。

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2009年7月18日 (土)

伊勢物語「第九十五段」:彦星

伊勢物語はどこから読んでも楽しめます。物語もこの男の一生をほぼ追っているようですが、あまり気にしなくてもいいようなところもあります。

前回紹介した第10段は、恋に破れた男が旅に出て、性懲りもなく他の女に手を出すという話ですが、す~っと後に飛んで第95段では、またもあの藤原の高子姫が登場します。男が背負って逃げて、途中で鬼に食われてしまったというあのお姫様です。

男は二条の后(藤原高子)にしつこくいいよります。あまりの熱心さに几帳越しに会うことにします。
男はこのチャンスを逃すまいと歌を詠みます。

「彦星に恋はまさりぬ天の河 へだつる関を今はやめてよ」

“織姫を思う彦星よりも私の恋はまさっているのですよ 天の川のようなそのすだれはどけてください”

「やめてよ」はオカマ風に「やめてヨー」と言っているのではなくて、古文の命令形です。

この歌にコロッとまいってしまった高子姫は、
「この歌にめでてあひにけり」
で、この段は終わっているので、あとは想像におまかせします。

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2009年7月 7日 (火)

伊勢物語「第十段」

ひさしぶりに伊勢物語に戻ります。
恋に疲れて都から東の国へ旅に出た男ははるばる隅田川まできて、都を思い涙したというのが第九段。
そして男はさらに武蔵の国までたどりつきそこで女に求婚します。

なんで?

恋に疲れて旅に出たはずの男は、またまた悪い癖が出て性懲りもなく女に手を出そうとします。しかし、その女の父親はあまり興味を示さないようなのですが、母親は積極的です。

なんと母親が娘に代わって歌を詠みます。お母様は実はあの有名な藤原氏の出身で身分の高い男と見ると必死です。お父さんはごく普通の人で、娘を手放すのも嫌なのか、積極的ではありません。

「みよし野のたのむの雁もひたぶるに 君が方にぞよると鳴くなる」
“みよし野の田の面の雁が飛んでいくように あなたの方に心を寄せています”

母親が読んだ歌を送られた男は、がっくりした(とは書いてありませんが)、いちおう返歌を送ります。

「わが方によると鳴くなるみよし野の たのむの雁をいつか忘れむ」
“私のほうに心を寄せているという娘さんを どうして忘れることが出来ましょうか”

なにか心のこもっていないような・・・、
さてどんどん都から離れ旅する男(在原業平さん?)はいったいどこまでいくのでしょうか。

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2009年5月25日 (月)

伊勢物語「第九段」その三

この第九段は都(京都)から東京まで来てしまいますので、伊勢物語にしては長い段です。
都を遠く離れ一行ははるばる隅田川までやってきました。

そこで見かけない鳥がいるので、渡し船の船頭に聞いたところ「都鳥」だという。そこで一首詠みました。

「名にし負はばいざこととはむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」
“都鳥という名前なのなら聞いてみよう 都のあのいとしい人は無事にくらしているだろうか”

都鳥とはユリカモメのことらしいです。
何を見ても都の彼女が思い出されるといったところでしょうか。
この時代にここまで来たことを思うと、この歌はジンときますね。

写真は都鳥ではなくて、うちの裏にいるカルガモです。

Kamo2

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2009年5月18日 (月)

伊勢物語「第九段」その二

東の方へ旅立ち、かきつばたの歌で涙を流した一行は、駿河の国までやってきました。
宇津の山のあたりの寂しいところまで来たところで知人の修業者と会い、都への手紙に歌を書いて託します。

「駿河なる宇津の山べのうつつにも 夢にも人にあはぬなりけり」

“うつつ”は夢かうつつかのうつつですが宇津の山にかけてあり、なかなか凝った歌です。
いとしい人は夢の中にも出てこないという内容です。

しかしこれをいったい都の誰に送ったのか、興味がありますね。
あの駆け落ちしようとした高子様には届くとも思えないし、ほかに思っている人でもいるのでしょうか?

もう少し進んで富士山の見えるところまできるともう一首詠みます。

「時しらぬ山は富士の嶺いつとてか 鹿の子まだらに雪の降るらむ」
“夏だというのに富士の嶺には、まだら模様に雪が積もっています”

都からはるばる旅してきて富士山を見て感動したのでしょうね、
この後には比叡山を二十ばかり積み上げた高さだと書いてあるので、よっぽど高く見えたのでしょう。
比叡山は848メートルなので×20で16960メートル!

わたしも東京へ行くときの新幹線の窓から見る富士山には今でも感動しますが。

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2009年5月11日 (月)

かきつばた:伊勢物語「第九段」

今日はさわやかに晴れたいい天気でした。
市内のほうに行く用事があったので兼六園へ行ってみました。
かきつばたが見頃でした。

かきつばたの和歌ということで伊勢物語です。

身分違いの女性に恋してしまった男は恋に破れ東国のほうへ旅に出ます。

前にも紹介しましたが、男は在原業平、女は藤原高子、第六段ではさらって逃げようとしますが鬼に食われてしまうという、すごい話になります。実は身内に連れ戻されたという話のようですが。

さて、東国へ友達と共に旅に出た男ですが、三河の国、八橋というところでかきつばたが咲いていたので、かきつばたという五文字を句の上に置いて歌を読めといわれて、読んだ歌。

ら衣 つつなれにし ましあれば るばるきぬる びをしぞ思ふ」
“から衣の着物が身になじんだような妻が はるばる来た今はしみじみと思われます”

この歌を詠んだところ同行の人たちは皆涙を流したということです。
即興でこんな歌をよむのですから、すばらしい!

写真は兼六園のかきつばた。

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2009年4月18日 (土)

伊勢物語「第九十段」桜花

桜の花もそろそろ終わりでしょうか。

百人一首からいくつか紹介してきましたが、ひさびさに伊勢物語の中から桜を歌った一首です。

「桜花けふこそかくもにほうとも あなたのみがた明日の夜のこと」

”桜の花が今日はこんなに美しく咲いているけれど、明日の夜にはどうなることやら”
「あなたのみがた」は、「ああ、たのみがたい」という意味です。

この話は、
男が恋していた女はいつも冷たくて全く相手にしてくれなかったが、あまりの熱心さに、
『明日の夜はすだれ越しにでも逢ってあげてもいいわよ』
といってくれたので、男はたいそう喜んだ。
しかし本当に明日の夜は逢ってくれるのか心配になって、桜の枝に歌を書いて結びつけ送ったという、せつない男の話です。

女は男があまりにもしつこいので『あはれとや思ひけむ』と、逢うことにしたのですが、この心配性の男もこんな歌を送ってはまた嫌われるような気もしますが・・・

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2009年3月30日 (月)

桜がなかったら・・・

今日は暖かい日でした。タイヤ交換もしたし、やっと春という感じです。

桜の開花宣言が富山で出たらしい、福井ではもう出ている、石川はまだか?なんてどうでもいいようなことですが、なにかソワソワする時期です。
年度末、移動、卒業、入学、あまりに周りがソワソワしていると、自分まで落ち着かないような・・・もう会社にいるわけでもないし、関係ないのですが・・・

「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」 在原業平、古今集
“世の中に桜というものがなかったら 春はのどかなものなんだろうなぁ”

ご存じプレイボーイの業平さん、なかなか渋いことをいいますが、花見の宴会での歌ですから、十分桜を楽しんでいるようです。
でも桜がなかったらやっぱりさびしいでしょうね。

もちろん伊勢物語にも出ています。「第八十二段」

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2009年3月23日 (月)

伊勢物語は原文で

伊勢物語は、ぜひ原文で読むことをおすすめします。

各段は短編でどこから読んでもいいですし、和歌も名歌が揃っています。
これまでブログで取り上げた段の原文をホームページのほうに載せましたので、ぜひ読んでみてください。古文はわからなくても読んでいるとなんとなくわかります。

http://homepage3.nifty.com/wakaotazunete/ise.html

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2009年3月22日 (日)

伊勢物語「第六十二段」:これはひどい・・・

前に紹介した六十段とよくにた話です。
六十段で男は三年間留守にしたらほかの男と一緒になった女に、自分が悪かったと思ってかっこよく「幸せになれよ」といって田村正和のように去りますが、今度は違います。

はじめの展開はほとんど同じです。

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何年間かたずねていかなかったらほかの男と一緒になっていた。
偶然、地方を訪れた以前の夫に食事を出すことになってしまった。
男は夜になって女を呼び、こんな歌を送った。

「いにしへのにほひはいづら桜花 こけるからともなりにけるかな」
“昔の桜花の美しさはどこへいったものやら 花も落ちて幹だけのみすぼらしい姿になったものよ。”

返事も出来ないでいる女に、なぜ黙っていると言うと女は、
「涙がとまらず、目も見えず声も出ません」と答える。

男は、

「これやこの我にあふみをのがれつつ 年月ふれどまさりがほなき」
“これはまた私のもとを出て行って年月がたったが全くきれいにもなっていないし、生活もよくなっていないのだなぁ”

と、泣き崩れ声も出ない女に追い打ちをかけるような歌を送り、自分の服を脱いで与えた。

女はそれを捨てて逃げてしまい、行方不明になった。

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これでは、ひどい男といわれてもしょうがありません。
俵万智さんは「恋する伊勢物語」の中で、この物語の中で一番ひどい男だと言っています。
すくいようがありません。


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2009年3月15日 (日)

伊勢物語:俵万智訳

俵万智さんの「恋する伊勢物語」という本を読んでいたのですが、俵さんは子供のための伊勢物語の現代語訳をだされていることが書いてありました。

興味があったので図書館で借りてみたのですが、なかなかおもしろい。
小中学生だけに読ますのはもったいない。ということで前回の第二十四段の部分を引用してみました。

三年間離れていた夫婦の微妙な関係を俵万智さんなりの考え方で訳しています。
四つの和歌もみごとです。原文の和歌と比べてみてください。ピリオドがこの話のキーワードです。

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 むかし、ある男がかたいなかに往んでいた。いつまでもこんなところに住んでいてはうだつがあがらないので、都で宮仕えをすることにした。男には愛しあった妻がいたが、かならずりっぱになってもどってくるからと、いいおいてでていった。
 「きれいな着物を買ってきてやるからな。」
 「連絡がないときは、元気でやっているものと思ってくれ。」
 夫のそんなことばを信じて、女はじっとまっていた。が、一年がたち、二年がたち、ついに三年めになっても、なんの音沙汰もない。
 「都でなにかわるいことでもあったのかしら。それとも、もしや、新しい恋人でも・・・?」
 ひとりでもの思いにしずんでいると、どうしてもわるいことばかり想像してしまうのだった。女のはうにも、いいよってくる男がいないわけではない。そのなかでもとくに熱心な男がいて、あれこれとやさしいことばをかけてくる。
 さびしさと不安でいっぱいの心に、それらのことばは、しみじみとしみてくるのだった。
 それは夫が都へでて、ちょうど三年になるという日の夜。女はついに決心をして、新しい男を迎えいれることにした。その目の夜にきてばしいという返事をしたのも、やはり「三年」という節目を思ったからである。
 「わたしも、新しい人生を歩みだそう・・・。」
 緊張してまっていると、戸をたたく者がある。
 「彼だわ---。」そう思って入り口に近づいていくと、なんと、なつかしい夫の声がするではないか。
 「帰ってきたよ、ちょうど三年めのこの夜に。またせてしまってわるかったね。都で成功するまでは手紙も書かない、とがんばってきたのだが、やはり心の支えはきみだけだったよ。さあ、はやくこの戸をあけておくれ。」 
 女はぼうぜんとして、しばらくのあいだ立ちつくすのみだった。ガタガタとふたたび戸をゆする音に、はっとわれにかえる。あんなにまっていた男の帰りを、こんなかたちで迎えようとは、ゆめにも思わなかった。しかし、新しい男との今夜の約束のことを思うと、戸をあけることもためらわれる。
 かろうじて女は1首歌を詠み、戸の外へさしだした。

  三年を君にささげてまちわびて 今夜打たれるはずのピリオド

男は歌を読み、すぐに「ピリオド」の意味を理解した。

  梓弓ま弓つき弓これからは 我と思って彼を愛せよ

むかしの歌に「弓というなら、みなおなじ。梓弓でもま弓でもつき弓でも、みなけっこうだ。」というような歌がたしかあった。べつの男とでも、おまえはうまく愛しあっていけるだろう、そんな思いがこめられているのだろうか。女は男の返歌を読んで、いっそうせつなくなった。男が去っていく気配がしたので、こらえきれずにもう1首、歌を詠む。

  梓弓ひかれひかれていまもなお 心は君にひかれるばかり

 しかし男はまことにいさぎよく、去っていってしまった。わたしの愛していたのは、昨日までのあなただったのだ、とでもいうように。
 男としては、妻が三年ものあいだ、ひたすらまってくれていたことを確認できただけでも、幸せだと思いたかった。あとは彼女の、これからの幸せを祈るほかはない。第二の男と、ごたごたもめるのもみっともない。わるいのはわたしのほうだ。
 しかしさびしさと同時に、男はすこしほっとしている自分にも気がついていた。正直なところ、こわかったのである。自分の心のなかには、いつも妻がいた。が、その妻は、三年前の妻なのだ。妻のほうにしても、三年前のわたしの面影だけをたよりに生きてきた。その間のことを、彼女はなにも知らない。
 おたがいにいだきつづけてきた面影を、そっとこわさずにいるほうが、むしろいいのかもしれない。ふたりの愛は、それぞれの心のなかで完結する---これこそ美しいピリオドではないか。男はそんなふうにも思ったのだった。
 残された女のほうは、悲しみにうちひしがれていたが、とうとう決意して、夫のあとを追いはじめた。今夜の約束など、もうどうでもいいという気持ちだった。しかし、走っても走っても夫の姿はない。
ついに力つきて、清水のわきでているところに、ばったりと倒れふしてしまった。
 そこにあった岩に、女は歌を書きつけた。もちろん、筆などあろうはずはない。自分の指を傷つけて、その血で岩に書いたのである。

  まつという愛の形もなくなって わたしが選ぶこれがピリオド

そして女は、その場にみずからの命を断ったのだった。

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男も女も、これでピリオドを打ってしまったのです。
これが小中学生に理解できるのかは疑問ですが・・・
素晴らしい訳だと思います。

今回参考にした2冊の本を紹介しておきます。

 

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2009年3月14日 (土)

伊勢物語「第二十四段」・・・三年目の・・・

伊勢物語の夫婦の話はどう判断するかは読者にゆだねられている感があります。

この話もかなり考えさせられます。

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男は田舎に妻と住んでいたが宮仕えをすることになり、別れを惜しんで都へ単身赴任した。その期間は3年にもなってしまった。
その間、女は待っていたが熱心に求婚してくる男がいた。夫はいつ帰ってくるかもわからないので3年待ってくれといったあったが3年たったので、その男と結婚することにした。
ところがなんと結婚するその日に夫が帰ってきてしまった。

「戸をあけなさい」と夫は言うが、女は歌を書いてすきまから差し出した。

「あらたまの年の三年(みとせ)を待ちわびて ただ今宵こそ新枕すれ」
“三年間待ちわびていたのですが、実は今夜結婚することに・・・”

男はがっくりきたが

「梓(あづさ)弓ま弓槻(つき)弓年をへて わがせしがごとうるわしみせよ」
“いろいろなことがあったけど、これからは新しい夫を愛して仲良く暮らしなさい”

といって立ち去ろうとした。
女は返しの歌を送って止めようとした。

「梓弓引けど引かねど昔より 心は君によりにしものを」
“いろいろありましたがあなたのことはずっと愛していました”

しかし、男はいってしまった。
女は必死に追いかけるが追いつかない。
とうとうきれいな湧水のあるところで倒れてしまった。
女はそこにあった岩に指の血で歌を書き、息絶えた。

「あひ思はで離(か)れぬる人をとどめかね わが身は今ぞ消えはてぬめる」
“私のことをわかってくれずに去って行く人をとどめられず、私の命は消えてゆきます”

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三年間帰らなかったら、うちには入れてもらえないのは普通だと思いますが、この男の送った歌でまたも女は昔のことを思い出してしまい気が変わったということなのかと思います。
あづさ弓というのは、押したり引いたりしていろいろなことがあったというたとえで使うようです。

こんな話ですが、皆さんはどう思われますか?

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2009年3月 9日 (月)

伊勢物語「第六十段」

この話も夫婦の間の話です。

“男は身分も高くなり、宮仕えが忙しく妻の事をあまりかまってやれなかた。
 すると妻はもっと誠実に自分のことを思ってくれる人と出て行ってしまった。

 ある日男が出張で地方のほうに行くと、
 そこの役人の妻がなんと以前の自分の妻だった。
 男はその女に酌をさせろと無理やりその役人に言った。
 役人は身分も違うのでしぶしぶ従がい、女に酌をさせた。

 男はつまみに出ていたたちばなの実を取りこの歌をよんだ。

 「五月まつ花たちばなの香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」

 女はそれで昔のことを思い出し出家して山にこもってしまった。”

この歌は古今集によみびと知らずとして出ている有名な歌です。
この歌がこんな話の中で使われていたとは、私もちょっと驚きました。

しかし、これではまたうちの細君が・・・

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2009年3月 3日 (火)

伊勢物語:第二十三段後半

二十三段の続きです。

幼馴染み同士、めでたく一緒になったというところで終わりましたが、
その後、何年かたって女の親もなくなり貧乏になってくると、男は河内のほうに女を作ってしまいます。

ある日、男が河内の女の所へ行こうとした時に、あんまりすなおに出してくれたので、女に別の男でもいるのかと思い、庭先に隠れて見ていました。
すると女はお化粧をして歌をよんでいました。

「風吹けば沖つ白浪たつた山 夜半にや君がひとりこゆらむ」
“かぜが吹くと白波がたつように不安な竜田山を あの人は夜中にひとりで越えてゆくのですね”

それを聞いて男は女をいとおしく思い河内へ行くのをやめてしまいます。

それはそれでよかったのですが、かわいそうなのは河内の女で、男が後に行った時に、自分で茶碗にごはんを持ったのを見て、興ざめしてそれっきり行かなくなってしまった。
というこっちはこっちでなにかかわいそうな結末です。

この河内の女もけなげな歌をよみます。

「君があたり見つつを居らむ生駒山 雲なかくしそ雨は降るとも」
“あなたのいる生駒山のほうをずっと見ていましょう。 だから雨が降っても雲で隠さないでください”

「君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば 頼まぬものの恋ひつつぞふる」
“あなたが来ないまま夜ごと過ぎていきますが あてにはしていませんが恋しいとおもっております”

この話を読んでうちの細君は激怒しておりましたが、身勝手な男といわれてもしょうがないか・・・

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2009年2月27日 (金)

伊勢物語:第二十三段

伊勢物語から幼馴染の男女が結ばれる話。

小さい頃井戸の周りで遊んでいた男女が、大人になったら恥ずかしくなって会うこともなくなった。
でも男は結婚したいと思っている。女も親は反対するがこの男のことを思っている。
ある日、男は思い切って歌を届けます。

“筒井筒(つついつつ)=井戸の周りの垣”
この話は後に筒井筒という能になっているそうです。

「筒井(つつゐ)つの井筒(ゐづつ)にかけしまろがたけ 過ぎにけらしな妹(いも)見ざるまに」 男
“井戸の周りの垣に届かなかった僕の背丈も 君に会わないうちにもう高くなってしまったよ”

「くらべこしふりわけ髪も肩すぎぬ 君ならずして誰かあぐべき」 女
“くらべっこしていた髪の長さも、もう肩を過ぎてしまいました。髪上げをしてしてもらうのはあなた以外にはいません。”

髪上げというのは女性の成人式のようなもので、髪上げをしてもらった男性と結婚することが多かったようです。
ということは、この二首はプロポーズとOKの答えのようなものです。めでたしめでたし。

しかし、この物語には続きがありまして、すんなりとは・・・後半はまた次回に。

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2009年2月12日 (木)

伊勢物語「第四段」

伊勢物語の第四段です。古今集にも載っている在原業平の有名な歌がでてきます。

「月やあらぬ春や昔の春ならぬ 我が身ひとつはもとの身にして」 在原業平

なにか調べがいいですね、意味は細かく見るとややこしいのですが、だいたいこんな意味です。
“月も春の花もすっかり昔とは変わってしまった。変わらないのは私だけかぁ”

どんな場面かといいますと、業平は例の連れて逃げようとして鬼に食われてしまった(第六段)の藤原高子(二条の后)の所へ通っていたのですが(まだ駆け落ちする前です)、
身分も違うし、まわりの者はあまりよく思っていなかったようで、こっそり別の屋敷へ隠してしまった。
そうともしらずしばらくしてから逢いに行った業平は、ガランとして誰もいないあばら家で途方に暮れ、泣きながら帰るというところです。

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2009年2月 4日 (水)

伊勢物語:第一段

伊勢物語を少し読んでみたら、おもしろくて思わずのめりこんでいまいました。
一段が短いので、原文でも十分読めます。意味がわからなくても声に出して読んでいるとふしぎとわかります。和歌もいいし、源氏物語とはまた違った面白さがあります。

第一段

『昔、男初冠(うひかうぶり)して、平城(なら)の京春日(かすが)の里に、しるよしして、狩にいにけり。
その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。
この男かいまみてけり。おもほえずふるさとにいとはしたなくてありければ、心地(ここち)まどひにけり。
男の着たりける狩衣(かりぎぬ)の裾を切りて、歌を書きてやる。その男、しのぶ摺(ずり)の狩衣をなむ着たりける。

「春日野の若紫すり衣しのぶのみだれかぎり知られず 」

となむおひつきていひやりける。ついでおもしろきことともや思ひけむ。

「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑにみだれそめにし我ならなくに」

といふ歌の心ばへなり。昔人(むかしびと)は、かくいちはやきみやびをなむしける。』

“初冠”は元服のこと、しのぶ摺=“しのぶもぢずり”は東北の染め物です。、伊勢物語は古文の教科書によくでてくるので、高校生あたりはこのへんで古文がだんだん嫌いになっていきます。それでは困るので少しおもしろくすると。

“いとなまめいたる”はメチャクチャ色っぽい。“はらから”は兄弟なので、
“いとなまめいたる女はらから”は“叶姉妹”です。
“いとはしたなくて”は今のはしたないではなくて、田舎にはふさわしくないという意味です。

ということでこの話はこんな内容です。

「元服したばかりの業平君は奈良の春日の里に狩りに出かけた時に、偶然、叶姉妹のようなメチャクチャ色っぽい姉妹をかいま見てしまった。こんな田舎にこんな美人がいるとは!
それで、いてもたってもいられなくなり着物の袖を破って和歌を書いて送った。
そういえば昔の和歌にも『しのぶもぢずり』が出てきたのがあったっけ。昔の人もなかなか風流なものだ。」

伊勢物語の出だしはこんな調子ではじまります、これからこの業平君はどんな風に成長していくのか楽しみですね。
最後の和歌は、百人一首にも入っていますが、光源氏のモデルの最有力人物、源融(みなもとのとおる)の歌です。「しのぶもぢずり」というのは福島県に伝わるしのぶ草で染めた染物で、その乱れた模様を自分の心にたとえて、“あなたのせいで私の心も染め物の模様のようにみだれています”という意味です。

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2009年2月 2日 (月)

伊勢物語:斎宮との恋

伊勢物語から在原業平の有名なスキャンダルをもう一つ。
業平が伊勢の斎宮と恋をしたという大事件です。斎宮といえば神に仕える身、男との関係などあってはならないことです。

斎宮が業平と会った翌朝に贈った歌(伊勢物語第六十九段より)

「君や来し我や行きけむ思ほえず 夢かうつつか寝てか覚めてか」 斎宮
“あなたがきたのか私が行ったのか、夢かうつつか、寝ていたのか覚めていたのか、私にはわかりません”

「かきくらす心の闇に惑ひにき 夢うつつとは今宵さだめよ」 業平
“心が乱れていて私もわかりませんでした 夢かうつつかは今宵みきわめてください”

かなり危険な恋なのですがこんな歌を女性から送られてはあきらめきれません。結局、また逢うことは出来なかったようですが、
この二首の和歌は古今集にも載っています。

この和歌をもとにしたイラストをいつもお世話になっているイラストレーターの“しまめぐみ”さんが書かれていますのでお借りします。

Yumeka

http://waka.or.tv/req/15.html

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2009年1月31日 (土)

伊勢物語

二条の后の「こおれる涙」の歌のところで、在原業平とのスキャンダルの話をちょっとだしましたが、伊勢物語にその部分がありますので紹介します。

『男が何年も思っていた女をさらって逃げ出し、芥川というとこまできて夜が更けたので女をそこにあった蔵に押し込み、自分は外でみはっていた。
ところが、実はそこは鬼の住みかで男が気付かないうちに女は一口で食われてしまった。』
という話です。

この男が在原業平、女が藤原高子(二条の后)で、駆け落ちをしたが結局見つかり連れ戻されたというのが真相のようです。

女が男に草の上の露を「あれは何?」ときく場面があり、女が食われた後男は、
“その時あれは露だと言って自分は消えてしまえばこんなに悲しまずに済んだのに”
と思って読んだ歌が、

「白玉かなにぞと人の問いし時 露と答えて消えなましものを」 伊勢物語より

在原業平、なかなかの美男子でプレイボーイだったようなのですが、このスキャンダルで出世が遅れたということです。高子の方は後に皇太后とまでなります。
今では考えられませんね。

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