百人一首

2009年11月 1日 (日)

大江千里:月見れば

秋の月はきれいでいいですね。でもなぜか物悲しくなります。

「月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど」 大江千里(おおえのちさと)

“月を見ているといろいろなことが次々と思いだされ悲しくなってきます。私一人だけが見ているわけではないのですが・・・”

“ちぢに”は“千々に”ですから、様々なことが思い出されたのでしょうね。
千里の叔父さんは例の在原業平さんです。
百人一首はつながっている人が多いですね。

りっぱな家系ですから生活には困らなかったと思いますがそれなりに悩みはあったのかもしれません。

大江千里の歌には源氏物語に出てくる有名な朧月夜の歌がありますね。
月を歌わせたら他に並ぶ人はいません。と、私は思います。

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2009年10月25日 (日)

文屋康秀:秋の草木のしをるれば

百人一首にもどります。
秋も深まってきて寒い風が吹くころになりました。
こんな季節にピッタリなのが、

「吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ」 文屋康秀
“山から荒々しい風が吹くと秋の草木もしおれてしまうことだ。だから嵐と言うのか。”

山風だから嵐だという軽いジョークですが、リズムもよくいい歌ですね。

文屋康秀(ふんやのやすひで)という面白い名前の人ですが、この人もプレイボーイだったらしく、三河の国へ赴任するときに小野小町を誘っています。

このときはどうもふられたようですが、
なんといっても小野小町は在原業平、僧正遍昭、とボーイフレンドにはことかきませんから・・・

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2009年10月10日 (土)

素性法師:今来むと

百人一首にはユニークなお坊さんが結構登場します。
この素性法師も変わっています。

「今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな」 素性法師(そせいほうし)
“すぐに行くとあなたがいったのに、ずっと待っているうちにとうとう9月の有明の月が出てしまったわ”

と、オカマ言葉になっていまいましたが、作者が女性の立場になって詠んだ歌です。
この人は自分で望んで出家したわけではないらしく、父親に無理やり出家させられたそうです。

それでこの父親と言うのは先に紹介した「をとめの姿しばしとどめむ」の僧正遍昭さんです。

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2009年10月 9日 (金)

藤原敏行:夢の通い路

「住の江の岸による浪よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ」 藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)
“住の江の岸による浪のようにあなたはどうして人目を避けて夢の中にもあらわれてくれないのですか”

「夢の通い路」という表現はロマンチックでいいですね。

この作者の「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」は以前に紹介しましたが、これもなかなかロマンチックな歌で大好きな歌です。

この藤原敏行と言う人は書の大家で写経などもよくたのまれて書いたのですが、写経をしながら女の人のことを考えていたとかで地獄に落とされたという話が残っています。

どうもこの人もプレーボーイだったようで、奥さんは例の業平さんの奥さんの妹です。

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2009年10月 3日 (土)

中秋の名月:西行

今日の金沢の中秋の名月は雲の合い間からきれいな月が見えるというなかなか風情のある月夜となりました。
百人一首から月を見て涙を流す西行の歌です。

「なげけとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな」 西行
"月は私を悲しませようとする いや悲しみを月にかこつけているのは私の涙なのだ”

「かこち顔」というのは涙を月のせいにしているという意味なのでしょうが、なにか訳しにくい歌です。
定家が百人一首にこの歌を選んだのはなにか意味があるのでしょうが、諸説にあるように私もなぜこの歌を選んだのかは疑問です。

流罪になった崇徳院に北面の武士として仕えていた西行の思い出もあったのでしょうか、この歌の西行の涙には複雑な思いがあったのかもしれません。

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2009年10月 2日 (金)

陽成院:恋ぞつもりて淵となりぬる

「筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる」 陽成院
“つくば山から流れ出るみなの川の淵のように、私の恋心も深い淵となってつもっているのです”

情熱的な歌です。
この歌を送った相手は、次期の光考天皇の娘、綏子内親王(すいしないしんのう)です。
恋多き天皇です。

それもそのはず、お母上は伊勢物語で在原業平と駆け落ちして鬼に喰われたというあの藤原高子姫です。

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2009年9月29日 (火)

僧正遍昭:乙女の姿しばしとどめむ

しばらくは百人一首からまだ紹介していない歌を取り上げます。

「天つ風雲のかよい路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ」 僧正遍昭(そうじょうへんじょう)
"空を吹く風よ、雲の通い路をふき飛ばせ そして空にかえる乙女達をもう少しとどめておいてくれ”

五節(ごせち)の舞いを舞う少女たちがあまりにもかわいいので、もう少し見ていたいという、百人一首の中でもトップを争うかというロマンチックな歌です。

でもこの僧正遍昭という人は名前からしてどう見ても僧侶ですよね。
仏に仕える身がこんなでいいの?
と思ってしまいますが、よく調べてみるとこの歌を詠んだ時は僧侶になる前だったそうです。

それでもこの人、小野小町のボーイフレンドだったとか、愛人が二人いたとか、34才で出家したそうですが、自由奔放なお坊さんだったようです。

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2009年9月27日 (日)

参議篁:流罪になった歌人たち

百人一首から参議篁(さんぎたかむら)の歌です。
参議というのは位で、本名は小野篁(おののたかむら)です。

「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人のつり舟」 参議篁
“大海原へ島から島へ漕ぎ渡り潔く船出して行ったと伝えておくれ 釣り舟の漁師たちよ”

篁は遣唐使に任ぜられましたが、藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)の船が破損したため篁の船と取り換えることになりました。それに腹を立てた篁は仮病を使って乗船せず、遣唐使を侮辱する詩まで書いたために隠岐へ流されることになります。
その時の歌がこれで、流罪になって船出する悲しい歌なのですが、おれは正しいんだとでもいいたいような、力強い意思も込められているような気がします。

こうして読んでいくと百人一首には流罪になった歌人が多いのに気付きます。

崇徳院→讃岐
後鳥羽院→隠岐
順徳院→佐渡
菅家(菅原道真)→筑紫
参議篁→隠岐

前にも取り上げた織田正吉氏の説ではすべて流罪になった後鳥羽院を暗示する意図が定家にあったということです。
定家が百人一首にこめた暗号がますます気になってきました。

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2009年9月24日 (木)

蝉丸:謎の琵琶法師

百人一首から蝉丸の歌です。
この人も謎めいていて、実在していたのかどうかもわからないようです。
「蝉丸」という謡曲では醍醐天皇の第四皇子でありながら盲目であったために捨てられるという、悲劇の人物になっています。

「これやこの行くも帰るもわかれては しるもしらぬも逢坂の関」

この歌は、逢坂の関の庵に住んでいた蝉丸が、行き交う人々を見て、
知っている人も知らない人も、出会っては分かれる、世の無常を詠んだものです。
リズミカルで愛嬌のある歌ですが、この蝉丸の生い立ちが謡曲のとおりだとすると悲しい歌に思えます。

盲目の琵琶法師が行き交う人をどうやって見たのかという疑問もあるようですが、

高貴な身分でありながら世捨て人のように山にこもり、琵琶の名手であったという、この蝉丸。
先に紹介した喜撰法師とともに実にミステリアスです。

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2009年9月17日 (木)

喜撰法師:隠されたメッセージ

百人一首から喜撰法師の歌です。

「わが庵は都のたつみ鹿ぞ住む 世をうぢ山とひとはいふなり」 喜撰法師
“わが庵は都の東南の宇治山、鹿も住んでいるところです。私のことを人は世間を憂いて山にこもっているといっているようですが、山の暮らしも結構いいものです。”

この喜撰法師はよく詳細が分からない人物ですが、なんとなく山の暮らしを楽しんでいるようなところがあるので、こんなふうに訳してみました。

この歌を定家が選んだわけには隠された理由があって、
隠岐に流された後鳥羽院から見て定家の住む都はたつみの方角にあり、幕府の目があって連絡が取れない定家の院へのメーッセージが隠されている。(織田正吉氏)
という説がありますが、こうして百人一首の背景を読んでみると後鳥羽院の追悼の意図があるのは真実のように思えてきます。

百人一首にこめられた暗号の説はいろいろとありますが、
林直道氏の、百人一首をキーワードで10×10のマス目に並べると、後鳥羽院の別荘があった水無瀬の地図が浮かび上がるという説も私には本当のように思えます。

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